
水戸偕楽園 水戸偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園などと並ぶ「日本三名園」のひとつです。
天保13年(1842年)に 水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園。好文亭は、藩主の別荘ですが、藩主一人が楽しむ所ではなく、衆と偕(とも)に楽しむ場所として建てられました。
水戸 偕楽園 好文亭
好文亭 入口の梅の木
偕楽園の好文亭の奥御殿の襖絵は東京芸術大学で教鞭を執った日本画家の須田珙中と田中青坪によって植物にちなんだ部屋名にあわせて襖絵を描きました。 製作の基本方針は、その部屋の名称を画題として、作家の自由な発想で描くというものでした。 製作は第一期と第二期に分けられます。 まず、珙中が萩、梅、紅葉、松の間を完成させましたが、竹の間の 移ろうとした頃、病に倒れ、 残りの製作は青坪へと引き継がれました。 青坪は竹、菊、桃、桜、つつじ、入 (南天)を製作しています。
菊の間
桃の間
ツツジの間
松の間
紅葉の間
竹の間
梅の間
桜の間
好文亭からの偕楽園内庭の梅林
田鶴梅林と千波湖
水戸偕楽園
茨城県水戸市 常磐線水戸駅下車バスで偕楽園行き
(やっぱり梅の絵が一番だよなと思いつつ、よくよく見たら全部良い絵柄・・ツツジもすばらしいですね!)
一つ一つ 丁寧な襖絵でした。