8月18日は東京へ月一の定期検診 問診の後、血圧測定(142ー80)・血液検査などをし、通常の薬と予備の頓服の処方箋 (その場でスマホで自宅の近く薬局を送る) 病院を出てから折角 東京に来たので電車で立川の昭和記念公園へ撮影に
昭和記念公園では毎年八月初めからサギソウと向日葵が見れる行きました。
サギソウ (鷺草)は西口の入口とさざなみ広場と花木園の湿地で見れました。サギソウの特徴は日当りの良い湿原に生え、夏に可憐な純白の花をつける。花の形が翼を広げた白鷺を連想させる事から名前がついたと言われています。サギソウは江戸時代初期、すでに栽培の記録が残されていますが、現在では生息地の草地開発、土地造成などで各地で個休数や生息地の減少が進み、平成9年8月28日に環境庁(環境省)「植物版レッドリスト」調査において減少準絶滅危惧種の一つにあげられている。
サギソウ (鷺草)の種類 青葉・ 暁(あかつき) ・実生青葉・黄収・飛翔・浄衣・玉竜花など 花の大きさが最大で4~5cmほどになる信じられないほど大輪のサギソウもあるそうですが、今回は新型コロナウイルス感染症で縮小されていますので見れませんでした。
サギソウの写真
サギソウ (鷺草) 東京では世田谷区の花になっており 世田谷区資料から
サギソウ伝説 今から400年以上も昔、世田谷城主 吉良頼康(きら よりやす)には奥沢城主大平出羽守(おおひらでわのかみ)の娘で常盤という美しい側室がいました。常盤姫は頼康の愛を一身に集めていましたが、それをねたましく思った側妾たちは、つくり話によって頼康につげ口をしました。度重なるつげ口から頼康もそれを本気にして常盤姫に冷たくあたるようになりました。愛情を疑われ、悲しみにくれた姫は死を決意し、幼い頃からかわいがっていた白さぎの足に遺書を結びつけ自分の育った奥沢城へ向けて放しました。白さぎは奥沢城の近くで狩をしていた頼康の目にとまり、矢で射落とされてしまいました。白さぎの足に結んであった遺書を見て初めて常盤姫の無実を知りいそいで世田谷城に帰りましたが、すでに姫は息をひきとっていました。その時、白さぎの血のあとから、一本の草が生え、サギに似た白いかれんな花を咲かせました。これがサギソウと呼ばれるようになったのです。
雨が降った後でしたので 少し雫がついて綺麗でした。
花木園の湿地では少なかったでしたが自然に咲いていました。
さざなみ広場のサギソウ
昭和記念公園 東京都立川市緑町3173
JR青梅線・西立川駅より約2分・ JR中央線・立川駅より約15分