上野大仏
上野公園の大仏山と呼ばれた丘にある大仏・・・
400年前の1631年・・・大仏様の高さは約6mでした。
上野の大仏様は度々の罹災したが、その都度復興されて、関東大震災によって首が落ちて・・・
第二次大戦時には軍の供出令により胴体を徴用されて、顔のみが残されました。
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。
上野公園の紅葉も見頃になって・・・
パゴダ(仏塔)
★大佛パゴダ
御本尊 薬師瑠璃光如来
御脇侍 日光・月光ニ菩薩(旧上野東照宮薬師堂ご本尊)
沿革
寛永8年(1631)堀丹後守直寄公が釈迦如来尊像を当山に建立せられ、1660年頃青銅の大仏に改鋳され。
大正12年(1923)、大震災で破損のため撤去する。
パゴダ建立
発願者 上野観光連盟
寄進者 大成建設株式会社
昭和42年(1967)7月吉日竣工 東叡山 寛永寺
上野大仏
災難を乗り越えた大仏は、現在では顔を残す事から「これ以上落ちない」という、
「合格大仏」として親しまれている。
もともとの姿は・・・・
上野大仏略記
寛永8年(1631)越後の国村上城主堀丹後守直寄公旧自邸内のこの高台に、
戦乱に倒れた敵見方将兵の冥福を祈るために土で釈迦如来像を造立した。
青銅大仏 明暦・万治の頃(1655~1660)木食僧浄雲師により銅佛に改められた。
仏殿 元禄11年(1698)露座の大仏に仏殿が建立された。
改鋳
天保12年(1841)火災に遭い、天保14年(1843)、末孫堀丹波守直央公が大仏を新鋳しまた仏殿を再建した。
大正12年(1923)関東大震災によって佛頭がおち、寛永寺にて保管、その後、佛体は解体され第二次世界大戦時に献納された。
昭和47年(1972)春彼岸、尊顔を再び旧地に迎えて祀り再建を計る一助とする。
昭和47年(1972)春彼岸
もみじが綺麗でした。