私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

最終的な悟りへ至る最後のステップについて

2015年09月10日 22時43分33秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇最終的な悟りへ至る最後のステップについて◇

まず、最終的な悟りである解脱の悟りに至るためには、必ず通る必要がある二つのゲートがあります。
その一つ目のゲートは、ハートの消滅が起こる大悟のゲートです。
このゲートを通ると、その後暫くの間、ハートの消滅に伴って生じる自我感覚の欠落感により、「観るものは観られるもの」を実感することとなります。
二つ目のゲートは、私という存在を含めた一切のことがらは私の考えであるということに対するある程度の理解(私はこの理解を空の理解と呼んでいます)が生じるゲートです。

大悟と空の理解の両方の悟り要素が揃うと、私という存在は考え(認識)そのもの、あるいは考え(認識)の連鎖そのものであるということを本当に深く理解するようになります。
この段階で、縁起に関する理解も生じます。
なお、この段階に至って初めて大悟とする悟りの捉え方もあるのだろうと思っています。

ここまでは前置きであり、今回の本題はここからです。

上の大悟と空の理解が揃った段階に留まらずに、自覚等を通じて解脱に向けて悟りの行程を歩んでいくと、ちょっと意外なことに気づき始めることとなります。
何に気づくのかと言うと、相変わらず苦しんでいる自分自身の姿、あるいは自分自身が感じている苦しさに気づくのです。
その苦しみに気づいた方の中には、自分自身がまだなお、かなり深く、しかも執ような苦しみを感じていることに驚き、戸惑う方もおられるのではないかと思います。
それは、それ程意外であり、心外というか、落胆が生じるような苦しみなのです。

なお、その苦しみは、私という存在の根本から起こってくる苦しみなので、大悟や空の理解を掴んでしまい、その悟り段階に囚われている方には気づくことができません。
その悟り段階を手放し、内面に向けたさらなる悟りを追求される方のみが気づくことができるものなのです。

その苦しみに気づき始めた方は、最終的な悟りの側まで到達しておられるのだろうと思います。
今回の記事は、そのような方に対して何かヒントになればと思い、書いたものです。

その苦しみに気づき始めたポイントから、最終的な悟りに至るまでの過程について、とても微妙なものではありますが、私としては二つのステップがあるのだろうと思っています。

一つ目のステップは、一切は苦であるという理解が起こるステップです。
この理解が起こると、苦が当たり前であるというそれなりの理解が生じるので、肝が据わるというか、意識や感覚の面でハッキリとしたそれなりの変化が生じます。
中には、これを最終的な悟りであると誤解してしまう方もおられるのではないかと思っています。
実は、私(慧空)自身、一切皆苦の理解が起こったとき、ひょっとするとそれで悟りの行程が終わったのではないかと誤解しそうになったのです。

最終的な悟りである解脱の悟りに至るためには、起こってくる苦しみに対し、それを何とかしようとする衝動(特に強い衝動)が停止する必要があるのですが、一切皆苦を悟っても、その苦に対する衝動が完全には停止しないのです。

そのため、二つ目のステップで、その苦に対する衝動を完全に停止させることになります。
どうすればその衝動が停止するのかと言うと、自覚により、自分自身を観ること、あるいは自分自身に意識を向けることにより、起こっている苦しみをなんとかしようしている自らの衝動、あるいは自らの姿に気づくことができれば、その衝動が停止するのです。

自らの衝動、あるいは自らの姿に気づいた瞬間、それまで延々と起こっていた苦に対する衝動がウソのようにスッと停止します。
そして、その瞬間、「これが最終的な悟りだ」、あるいは「これ以上の先は無い」等の感覚的な手応えというか、理解が生じます。
これが解脱の悟りです。

最終的な悟りに向かう際の要は、やはり「自覚」です。
「自覚」あるのみです。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


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読んで頂いてありがとうございました。

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