今日は昨日午後から雨が降って来たが、その雨は止んでいる。 それでも今にも雨が降り出しそうな気配の空模様だ。 予報では曇りであり、雨の心配はなさそう?だけど、いつ降ってきてもいいような空模様を見ていると洗濯物を干したので、ちょっと気にかかる。 昨日は雨の予報だったので、洗濯物は一切しないでいたけど、夕方までは何とか陽ざしも差す時間もあったので、昨日の方が天気は良かったかもしれない。
さて、先週退職した会社から規定通りに請求書が届いた。 自動車学校の費用、制服の費用だ。 私の給料を補填しても尚15万円のマイナスとなり、昨日中に全額を振り込んで済ませた。 今回は給料が無くなっただけではなく、こうして費用の弁済と言う結果になってしまったのは何とも情けない。 ただし、私はこの会社に勤めなくてよかったと本当に思ってる。 今回の件については妻には平謝りする以外には無く、時期に入ってくるだろう再就職支援金(22万円の予定)から10万程度を貰うつもりだったけど、それは出来なくなってしまった。 それでも、昨日は個人年金(日本生命に長年掛けていた保険)が入金されていたので、少しは気が楽な気がした。 10年間の支払い期間の最初の1年分だ。 48万円なのだが、源泉徴収料が引かれていたので、45万強だった。 妻はどうして個人年金に税金が掛かるのか?? とちょっと憤慨していたけど、これも所得になるので、この点は仕方無いのかもしれない。 年間の初年度に一括で支払われるとは思っていなくて、月4万円づつか振り込まれると思っていたので、ちょっと、予想と違っている。 毎月4万円つづ振り込まれる方が生活費として計算することが出来るので、その方がいいのだが。 まっ、しかし、このタイミングで振り込まれたのは良しとしたい。 丁度来月は税金の季節なので、固定資産税、車の税金なども含めていろいろと出費が重なる時期だからだ。 さらに、軽自動車の任意保険も5月に期限が切れるので、更新しないといけない。 次の仕事が順調に進めば、5月25日の給料は4月分と同時に支払われるので、通常よりも多くなる計算なので、まっ、来月からは給料が決まって入ってくるだろう。
昨日の振込完了にて、今回の退職に関しては一件落着となった。雇用保険も同時に送付して頂いたので、これで次の会社には滞りなく各種書類関係は提出出来ることになる。今回の件はこれで全て終わったので、今後はこの件に関しては忘れることにする。 これにて、今後はこの件については話をしないと決めた。
次の仕事が何時から初日になるのかはちょっと未定だけど、まだ少しは期間があるので、姉達とランチでもしならが近況などを話をしようと姉が誘っているので、来週ぐらいに一緒に食事をしならが話をしたいと思っている。 姉は以前から今回私が入社する会社と同種の会社に勤めていて、一旦は退職したのだけど、最近再びその会社にパートとして勤め始めたのだ。 以前の半分程度に就業日を減らして働くことにしているようだけど、それでも小遣いにするには十分過ぎる給料をもらっている。
姉の夫も定年退職後に別の会社に契約社員として勤めていたのだが、去年の10月に食道癌と診断されて、当初は余命1年もないとの診断だった。 その時点で姉は会社を辞めて夫の介護に専念することになり、最近は夫の症状も回復傾向に向かい、順調に癌が減る傾向になっている様子だ。 当初、診断結果を言い渡された時には夫の死後の生活の事などをいろいろと考えて、年金などの受け取りなどで市役所や年金機構などへ問い合わせをしていた様子だった。 もちろん、癌治療は即時に開始して、入院を数回重ね、通院も定期的に行っていて、今はそれほど深刻な状態から抜け出した様子なので、少しは私達兄弟も安心した感がある。 私も今年から姉の夫のためにお遍路をする時に夫用に納経帳を1冊新調して御朱印を押してもらっている。 今は自分用とこの夫用の2冊を持ってお遍路へ行っている。 後30か所で満願することが出来るので、満願したらこの姉の夫に手渡して、2巡目からは自分で廻ることも進めたいと思ってい。もっとも、この夫がお遍路には興味がないと思っているので、あえて進めるのも気が引けるけど、とりあえず、私としては癌が完治出来るようにと念じてお遍路をすることぐらいしかできないので、これは姉の夫のためと言うよりは自分の慰めでもあるのかもしれない。 もちろん、回復傾向にあると言っても、やはり癌の後期だと言う事もあり、そんなに気楽な感覚ではない。 癌はどんな風に転移して、いつ悪化するのかは分からないので、不測の事態の事もいつも念頭にはあるのだ。 癌については私の妻の姉の夫や弟も癌で入院、治療もしている経験もある。今は通常と変わらずに仕事もしているけど、いつ癌が発症するのかも分からない。 そういう私だって、いつ癌にかかるかもしれないし、先のことはやはり未知なのだ。
だからこそ、自分が信じた道を歩いて行くことが大切だと思っているし、自分に正直に生きることが一番幸せなんだと思っている。 それは残された家族に対しても救いとなるだろう。 私が何かのために犠牲的な生活を続けていて、亡くなったとしたら、家族の悲しみは一層深まるだろう。 逆に私が自分の生き方を全うできたと思ってくれれば、私の運命だと諦めることも難しいことではないだろう。 十分に生きたと感じてもらうことも家族に対する愛情でもあるのだ。 まだ60歳になったばかりで、まだまだこの先は長い人生が待っている。 もちろん、何歳まで生きられるのかは全く分からないし、わかりたいとも思わないけど、いずれにしても、悔いのない人生を生き生きとして全うすることが出来れば、それが最も幸せなことだろうと思っている。