改めてクラシックギターを最初から学び直すことにした。
勿論、独学で再度学び直すのである。 ギター教室に通う時間や費用は今は無いので、家で時間があればギターを手にして弾くことにしている。
その中で、選んだ教本は2冊、1冊は溝淵浩五郎のカルカッシギター教則本。
これは初心者はどうしても覚える必要がある技術だけではなく、譜面とギターの音を即座に間違いなく弾けるようになるためにどうしても練習する必要がある内容の教本だ。 この本の終了期間は凡そ3年間。 初等、中等、高等の3部に分かれていて、1部が1年単位だと言っても良いだろう。
まずはこの教本を卒業することから始めようと再認識した。
それと並行して、もう1冊の教本。 これはクラシックギター練習曲、初、中級編。 スコット・テナートの模範演奏がCD付で付属しているので、独学の私にはありがたい。 こちらも初心者から中級者までのレベルの人向けの練習曲が豊かだ。 凡そ、どちらも同じレベルから始めることが出来るし、練習する甲斐がある。 勿論、2冊同時の練習となると時間的には倍かかるのだけど、どうしても、私の性格からすると、同じ練習を長時間に渡って続けていると嫌になってしまうので、目先を変えることと、別の角度から基本的な技術を身に着けることも良いだろうと思って、2冊同時進行でやることに決めた。
元々、ギターに関してはある程度の技術は持っている。 若い頃には毎日のようにギターを手にしている時期もあったので、まったくの初心者と比較するなら、ある意味ではかなり余裕で弾けることも確かである。 がしかし、その弾いていない時期がかなり長く、その長い期間のでほとんど忘れている状態だ。
さらに、指はなかなか思って居るようには動かない。 これは年齢的な問題もあるけど、脳の衰えもあるだろう。 それでも、時間が許す限りギターを手にしていると微かだが進展があり、確実に指も動くようになっている。
ある程度の年齢的なギャップは否めないだろうが、それでも、そのギャップを埋めることが出来るのは、若い頃に弾いていた経験値も生きているだろう。
さて、今後、3年間はこの2冊をじっくりと練習することに決めた。
この2冊以外にも、ソロギター入門書を購入して、いきなりある程度曲らしいものを練習しても居るけど、やはり、基本をもっとしっかりと身に着けることを選ぶ必要があるだろう。 どうしても、弾いていて、心地よい方向へ行きたがるけど、ここは堪えて、しっかりと基礎を固める事に専念しようと思ったのである。
それでも、単調な音階だけの練習でも、やありギターは楽しい。 弦を爪弾いているだけでも時間を忘れてしまう。
特に難しい指使いを何度も繰り返して、かなりの回数、時間を要する箇所は余計に楽しさを感じるのである。 それが流暢に弾けるようになった時にはやっぱり達成感や向上心へと繋がっていき、もっと先へ進めるようにと思うのである。 そうして、この先、私が描いているギター演奏が出来るようにこの先が楽しみである。 勿論、性急なことを望んではいない。 何しろ、これからギターのプロになれる訳でもないし、どこかで演奏できる程に上達するかも分からない。 ギターを弾く事自体が楽しいし、それで十分に幸福を感じることが出来る。 さらに言えば、もっと音色も色も形も素敵なギターを手に入れて、もっとギターが好きになる日もそんなに遠く無いだろう。
ギターは楽器でもあるけど、その形や美しさは工芸品でもあり、より美術的な価値もあるだろう。 所有する喜びもあるし、その美しさを身近に置くことが出来るなら幸せはもっと増える気もする。
当然だけど、そのギターで思う存分に演奏することが出来たら、そんなに幸福時間は無いだろうと思う。
これから、3年後、4年、5年後にどこまで自由にギターを弾くことが出来ているだろうと想像すると、健康でいる事、それを維持する事、さらには今以上に自由な時間を持てるようになる事に努力する意欲が沸いてくる。
この先の人生を満喫することは、何もお金だけではない。 勿論、高級なギターはそれほど安くないだろう。 しかし、それは、自動車やバイクに比較するとくらべものにならない程に安価な物だ。
そのギターで十分に満足する時間を持てるなら、これほど有意義な物は無いだろう。 後2年後にはバイクは売り払い、今練習している教本を卒業する時には、私が欲しいギターを手に入れようと決めている。
それは、バイクと違って、この先、一生私の隣に置いて、死ぬまで愛用することが出来る宝になるだろう。
この年齢になり、この先の自分の人生を考える時に、生涯続けることが出来るものに出会えることは幸せだろうと思う。
ギターは天候に左右されることもないし、場所も取らないし、いつでも弾くことが出来る楽器だ。 そうした事も、今後、長く付き合うことが出来る私の宝になるだろう。