先日書いたウェルビーングの話で、そのポッドキャストの対談の中で、吉田尚記 (落語するアナウンサー)さんが、筋トレをする意味や、その人が理解できないとの話をしていたので、私はここで、その筋トレの意味や、それを継続している人に関して少し書きたいと思って居る。
吉田氏の話はほんの短い物だが、筋トレで付けた筋力は普段の生活では必要ないだろう、さらには必要のない筋力をつけるために、お金を払って、ジムに通い、汗を流すことの目的が理解できないとの話だった。
筋トレは筋肉を増強したり、ダイエット目的だったり、運動不足解消だったり、健康に良いとされるので、定期的な運動習慣にしている人も居る。
確かに、普段の生活では必要ない程の筋力をつけるために日々トレーニングしている人も多々いる。 しかし、普段の生活に必要とか、必要ないとかは全く意味がなく、筋力を増強したいのではなく、自分が理想とする体型を維持、向上させるためにトレーニングをすると言う人の方が遥かに多く、ほとんどそれが目的だろう。 同じ程度にダイエット目的もある。
特に女性の人はダイエットや脂肪減少を目的としている人の方が大多数だろうと言える。
なので、単純にやらない人から見ると、無駄な筋力をなぜ欲しがるのか?と言う疑問になるのだろうが、これは全くの間違いで、オリンピックで重量を競う選手でもない限り、筋力向上を求めている人は意外と少ない。
求めているのは、筋力ではなく、筋肉の容である。 体型なのであり、筋力にはあまり関心は無いだろう。
実際に、私の場合でも、筋力なんてどうでもいいのである。 筋力ではなく、筋肉の容であったり、少しの運動で疲労しないための体力だったりするし、そもそも、筋トレは健康維持が目的であり、生涯現役でありたいと願うことだったりするのである。
これは、さらには、筋トレの効能はtestosteroneさんの著書を読めば、今回のウェルビーングの実現にはとても役立つ物だと言う事も分かるだろう。
逆に言えば、筋トレで得られるものは単なる筋肉ではなく、精神的な健康、精神的な向上心、精神的な幸福感を得るためには最も適している物だとも言えるのである。
ウェルビーングを得るためには、精神的な経験値や知識やマインドフルネスなどの精神安定を作るための行動などもあるだろう。
しかし、何よりも、精神的な安定や健全な心と言う物は、そもそも、健康な身体がなければ維持するのは難しい。
もちろん、病弱であっても明るく、楽しく生きる人も多々いるので、健康な身体が全てとは言わないが、逆説的に言えば、不健全な精神を健全な精神に取り戻すために即効性もあり、確実性が高いのは、筋トレを継続する事だ。
これはいろんな実証実験などのデーターからも証明されているし、私自身の経験からしても、確実に筋トレは健全な精神を形成する事が出来ると確信する。
さらに言えば、【草薙龍瞬朗読】反応しない練習 の中でも話ているのだが、心に向き合うのではなく、身体を意識する事。 身体そのものを実感すること。
それは所謂、修行僧の瞑想と同様に、自我を離れて、存在そのものを実感することで、心にある不安や心配、怒り、悲しみ、妄想を払い退けることが出来る。 これは、筋トレをしている状態と同じなのである。
筋トレをしている状態は、筋肉に精神を集中している状態で、ある意味では心は空っぽ状態になる。
特に限界に近づくとそれは顕著になる。 ベンチプレスならギリギリ1回、2回挙げる事が可能な重量になると、全ての精神はバーベルの重量と自身の身体の限界値だけである。 完全に心からは所謂、世俗的な観念は消え去っている。 当然だけど、そうした妄想が入る余地はなく、逆に無駄な妄想などがあれば、挙げる事も出来ないし、怪我の原因になることもある。
まっ、実際に筋トレをすれば、この私の話は証明されるだろう。
さて、今日は休みで家で過ごす。 天気は雨模様なので、洗濯も出来ないので、家事はほとんどすることもない。
買い物はどうしようかな?
今日はたっぷりとギターの練習をすることにして、筋トレは軽めに下半身と背筋、上腕筋程度にしようかなと。 夕方になって身体の疲労感がなければ、ダンベルプレスで胸筋もと思えるが、今は少し筋肉痛も残っているので、どうするかな?
それでも、明日は仕事だし、明けの日に出来るかどうかも分からないので、中1日でトレーニングする事も時にはいいかもしれない。
筋トレも少し休んでいたけど、最近は筋トレの意欲も出てきたし、ギターの練習との両立が出来ている。
これは、ギターの練習であまり疲労感が無くなった事。 以前はギターの練習に集中し過ぎていて、夕方になると疲労感が溜まって、トレーニングへの意欲が無くなっていた。 それが、最近はギターの練習をしっかりしても、あまり疲れなくなって、夕方には時間通りに筋トレの意欲があるのである。
これはどうしてなんだろうか? 特に練習内容を変えた訳でもなく、練習時間を短縮しているのでもない。
ギターを再開して、2年近くが過ぎて、ようやく、ギターを弾く時に無駄な力や譜面を読む為に頭を必要以上に使う事が無くなった気もする。
以前は譜面を理解して、運指などを覚えるだけでも疲れていたけど、今は以前に比較すると、意外と容易になった気もするし、運指も選択する事が出来るレベルになった気もする。
もちろん、指もスムーズに動くようになったことは、疲労感が無くなる要素だろうけど。
何とか、2年弱で左の指が動くようになったし、右指も以前に比較すると思うように動かせることが出来る。
こうした事もあり、今はようやくギターの練習と筋トレを計画的に出来るようになった。
以前から書いているけど、ギターと筋トレは私の生涯のライフワークである。
これまでもいろんな事を趣味としてきたけど、高齢になり、今後生涯に渡って継続する事が出来る物に出会えたのは幸運だろう。
ギターは年齢に関係なく、継続するには最適だし、筋トレも重量などは別として、継続することは難しくない。
ギターは譜面を読むことや、指を使うことで脳への刺激があり、思考する活動を維持する事も出来るし、音楽は心を豊かにする事も出来るし、何よりも楽しいこと。 さらには、場所も特別な広さは要らない。 天候に左右されない。 ギターの置き場所も困ることなく、そもそも、ギターは弦以外にはほぼ必要な経費は0である。 定期的なメンテナンスなどはほとんど不必要だし、仮にメンテする必要が有るとしても、10年、20年後の話だろう。
弦交換は1セット1800円前後で、最低でも3,4か月の周期なので、年3回から4回程度だろう。
教本なども今は必要以上に持っているし、今後数年間に新しい教本は必要無いだろう。 さらには、私は独学なので、レッスン料も0円。 例えば、ギター仲間との集まりなども今は皆無なので、そうした付き合いなどで食事などの出費も0円だ。
ひたすら家でギターを弾き、夕方には45分程度の筋トレをする。 夜は風呂に入り、ビールとウイスキーを飲み、しっかりと睡眠を取る。
筋トレも同様に、今は家で家トレのみなので、ジムの会費も0円だし、今後器具なども買い足すにしても、ほとんど数万円も要らない程度だろう。
今、欲しいダンベルがあるけど、まっ、もう少し先でもいいかなと。
こうして、今の私はほとんどお金を使わない生活をしている。
しかし、人生で今以上の幸福感や満足感は無かった気もするし、(それはちょっと言い過ぎだけど、若い頃はウインドサーフィンやスキーや、彼女とのデートや仕事の充実感もあった)幸福感や満足感は兎も角として、少なくとも、今は焦らず、一生懸命と言うものとは違って、マイペースでのびのびと自分の思っている生活が出来る事に感謝している。
もちろん、もっと自由でもっと欲しい物が手に入るならそれも良いだろうけど、例えば、その為の時間やお金を稼ぐために自分の意思とは違い事をするなどの事は求めて居ないし、今はそうした事から少し解放されて、さらには、来年からは今以上にそれは可能な日々が来る事が確実なので、とても期待する事が出来る人生に感謝している。