summer diary

日記らしきページ

通夜

2007年07月16日 | Weblog
 会社の同僚の父親の通夜が今日行われた。
僕は出席しなかった。
本当は行こうと思えば行けたのだけれど、
それでも行かなかった。
彼も僕が来ることを想像してなかったろうし、
逆に僕の姿を見ることは彼に対して、気苦労を
させることになるような気がした。
ただでさえ、いろんなことに気を使わないといけないときに
余計な気苦労をさせるのは僕の本意ではない。
自己満足な形をつくろうよう様なへまはしたくない。
誰もが、もちろん華やかな葬儀を望んではいないし、
多分、ぼくも自身の親を亡くしたとして、
会社の同僚に拝んでもらってもあまり感じないような気がする。

僕は僕で一生懸命生きている。
でも、人はいつか死ぬときが来るし、それは必然だ。
ひとが死ぬことが特別でもないし、それほど悲しがることもない。
肉親が死ぬことは確かに悲しいけれど、それは必然だ。

若くしして、突然の死ならともかくとして、ある程度の年齢の
親が死ぬことは自然の理でもあり、ごくごく普通の出来事だと思う。

自分の時間を犠牲にてまで、誰かのために時間を作ることは
今の僕はできないかもしれない。
義理や自分がどのように他人に思われるかなんてことは
僕には興味ないとこ。

 
僕は今日まで生きてきて、明日からどうして生きていくのか
僕は僕でいいのか
僕は僕の意思とは違う何かをすべきか

僕の人生が後何年ぐらいなのかは神しか知らないにしても
僕は僕の意思が神の声と信じているから
これからもこうして生きていくし、
これからも行き続けていくことが
たぶん

僕も
神も
自然も
だれもが
お互いが、お互いの心を労わり
お互いの意思を尊重し
お互いの存在を認め
互いに生きることを
死んでいくことを
素直に、誠実に、できることが
ロボットではない
「人間」の意味がそこにあるような気がする。

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