高倉健に続いて菅原文太さんの訃報が届きました。
運命と言うものの皮肉でしょうか。
健さんの任侠映画路線が下火になって、文太さんの「仁義なき戦い」という実録路線が人気を博すようになりました。
健さんは自分の出る幕はなくなったと東映を去られ、東映のエースは菅原文太ということになりましたが、その二人が相次いで逝ってしまわれました。
文太さんの「仁義なき戦い」は良かったですねえ!
手持ちカメラが不安定に動き、画面は斜めになったりで、それまでの様式美を誇った任侠映画とは違った世界で新鮮でした。
「仁義なき戦い」でのラストシーンで金子信雄の山守に言う "山守さん、玉はまだ残っとるがよ" は決まってました。
同じシリーズの「仁義なき戦い 頂上作戦」では小林明の武田に「わしら、もう野良(のら)突くほどの性根はありゃせんのよ」「もう、わしらの時代はしまいで…」もしみじみとしてました。
僕は「関東テキヤ一家」のレコードも持っていたのですが、プレーヤーの消滅と共にどこかにいってしまいました。
保存してあるチラシを探るとシリーズ第9作「トラック野郎 熱風5000キロ」のチラシが出てきました。
あの頃は2本立てだったんですねえ~。
(写真をクリックすれば大きくなります)
1978年、岡本喜八の「ダイナマイトどんどん」面白かったなあ…。
1979年、長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」良かったなあ…。
一人息子さんを事故で亡くされ、自身も膀胱がんになられ、そして東日本大震災を経験され命の大切さを感じられたのでしょう。
映画をやってる場合ではないと思われたのでしょうが、命の大切さを訴える映画にももっと出て欲しかったです…。
ご冥福をお祈りいたします。 合掌
運命と言うものの皮肉でしょうか。
健さんの任侠映画路線が下火になって、文太さんの「仁義なき戦い」という実録路線が人気を博すようになりました。
健さんは自分の出る幕はなくなったと東映を去られ、東映のエースは菅原文太ということになりましたが、その二人が相次いで逝ってしまわれました。
文太さんの「仁義なき戦い」は良かったですねえ!
手持ちカメラが不安定に動き、画面は斜めになったりで、それまでの様式美を誇った任侠映画とは違った世界で新鮮でした。
「仁義なき戦い」でのラストシーンで金子信雄の山守に言う "山守さん、玉はまだ残っとるがよ" は決まってました。
同じシリーズの「仁義なき戦い 頂上作戦」では小林明の武田に「わしら、もう野良(のら)突くほどの性根はありゃせんのよ」「もう、わしらの時代はしまいで…」もしみじみとしてました。
僕は「関東テキヤ一家」のレコードも持っていたのですが、プレーヤーの消滅と共にどこかにいってしまいました。
保存してあるチラシを探るとシリーズ第9作「トラック野郎 熱風5000キロ」のチラシが出てきました。
あの頃は2本立てだったんですねえ~。
(写真をクリックすれば大きくなります)
1978年、岡本喜八の「ダイナマイトどんどん」面白かったなあ…。
1979年、長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」良かったなあ…。
一人息子さんを事故で亡くされ、自身も膀胱がんになられ、そして東日本大震災を経験され命の大切さを感じられたのでしょう。
映画をやってる場合ではないと思われたのでしょうが、命の大切さを訴える映画にももっと出て欲しかったです…。
ご冥福をお祈りいたします。 合掌