好きな事 嫌いな事

普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

本で旅をする:重松清Vs浅田次郎

2005-07-29 01:13:22 | ひとりごと。
重松清氏の「セカンドライン」というエッセイ集を読んだ。
その中に、「友達100人できるかな」という、子供の歌について
「100人もできるわけがないだろう。いいとこが3人だ。
友達をたくさんつくらないといけないみたいな思い込みをさせるのは
よくない」というようなことが載っていた。

こういうのって、揚げ足とりだと思う。私は嫌い。なんか、いやだな。

いいじゃないの、新しい学校で、新しい友達ができるかな、
なんだかわくわくどきどきするな。
そういう気持ち、を歌ってるわけで、
別に実際問題として何人友達ができるとかできないとか
あーやだやだ こういうの ヘンに斜めからみちゃうっていうか

あと、何年か前の、高松の成人式で壇上に上がってクラッカー鳴らしたバカが
いたでしょう、あのことについて「テロじゃなかったんだ」だって。
テロっていうか、バカなだけじゃん。

続いて、「きよしこ」という童話みたいな小説みたいな少年もの?
を読んでみたけど、これもつまらなかった。
「きよし この夜」を、「きよしこ の夜」だと思い込んでいる、
何度も転校する少年と周りの友達の話。

泣かせようとしてるんだろうけど、あんまり・・・ダメでした
感動するでしょう。感動する話でしょう。という押し付けがましさ、
みたいなのも感じてしまって。
いまひとつ、中途半端というか。

この人、家族と少年の話が得意なのだろうけど
どうも、世の中斜めに見てるような、なんて言ったらいいのかなあ・・・
はっきり言うと
「スケールが小さい。」

合う人は合うのだろうけど、私はダメだ、この人。
というわけで、日曜日の食卓とかって本も一緒に借りてきてあったけど
読まずに返した。時間がもったいない。(重松ファンの方ごめんなさいです)

それで、口なおしに浅田次郎先生の昔のエッセイ
「勇気凛々ルリの色 2」を読みました
もうだいぶ前のものだけど、やはり「格が違う」と言わせていただこう。


小説を読んでいる間は、旅をしているのと同じだと思う。
少年だとか家族だとか、ちまちましたところで堂々めぐりしてるのなんて
やっぱりつまらない。私は。


以前、浅田先生の「蒼穹の昴」を読み終えたとき、はぁ・・・と、深いタメイキをひとつついて窓越しに空を見上げた。
この蒼穹は地球上のあらゆるところへ私をつれていけるのだと、感無量になった。

そして、すぐにでも北京へ飛びたい。と思った。まだ娘が小さかったので、北京へは飛べなかったが、
もし一人きりだったら次の日にでも行っていただろう。日帰りで北京。
そして、紫禁城の前にたたずみこの本を抱きしめようと思った。
ただ、それだけのために、行きたいと思った。
あの感覚は忘れがたい。
そして、あのような本を世の中に送り出してくださった浅田先生に、
もう一度感謝。

やはり私は、感動するために本を読みたい。
ちっとやそっとの感動じゃだめ。
ふかーく、ながーく、色あざやかに、心に残る本をよみたい。


というわけで、この夏は
「シェラザード」「王妃の館」などなど
浅田先生の未踏破の御著書を拝読する所存である。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする