朝から一日中、強い風が吹き荒れていた。
やっと咲いた桜が、散ってしまうかと、なんだか気が気でなかった。
せっかく咲いたばかりなのに、もっとのんびりゆらゆらと、暖かい日ざしの中で、
できるだけ長く咲いていたいだろうに、と思って、心が騒いだ。
窓から見える近所の桜を、「散ってはいまいか」「大丈夫なのか」と何回も見た。
でも、夕方外へ出たついでに、桜の下へ行ってみたら
しっかりと、落ちることなく花もつぼみも、枝についている。驚いた。
満開の桜は強い。あれだけの風に、よく耐えたものだと命の強さを思う。
「やっと咲いたのよ!ここで散ってなるものか!」という、力強いつぶやき、の様なものを感じたような気がした。
急ぐなかれ、散り急ぐなかれ。
知人のAさん:
Aさんは美人で頭もよく、仕事もフル回転。小学生のお子さんがいる。
ちょっとはじっとしてたら、というぐらいに、よく動く。
よく言えばパワフル、ある意味では走りすぎなのでは、と思ったりする。
それから、「アンチエイジング」や「美を保つ」ことに異常に固執するところがあって、
アンチエイジング専門のお医者にかかったり、ネイルやエステに通ったり、トータルワークアウトとやらに行ったりと、
そりゃ逆に身体が持たないわな、と思うぐらいに一生懸命だ。
そのAさんが、人間ドックで泌尿器系と、子宮関係でひっかかって再検査となった。
その上、近頃めまいがひどく、その検査もしたところ、病名がついてしまった。
近々、入院する。
・・・やはり、急ぐなかれ、と思った。
ここで、ちょっと休みなさいという、メッセージなのかとも思う。
私は、「アンチエイジング」という言葉は嫌いだ。
加齢による様々なことー美容的なことや、体力や気力が落ちる、それを防ぐためにあれこれやりましょう、ということなのだろうけど、
それ自体は間違ってはいない。体力を維持するために、筋トレを続けるなどは、いいことだ。
だけど、ややもすると、加齢そのものを認めない、認めたくない、という流れになってしまうようにも思える。
生きている限り、誰でも、年をとる。
誰でも平等に、1年にひとつずつ、それは命のあかしである。
25歳と、36歳という若さで亡くなってしまった友達がいる。
彼女たちは年をとらない。永遠に。
加齢がいやだなんて傲慢だ。
1年に3つ4つと年をとるわけではない。たった一つずつ。その積み重ねが人生である。
私も、Aさんに似たところがある。あそこまでパワフルにはできないが、
忙しくしていないと落ち着かないようなところがある。
「急ぐなかれ」、である。自分にも、言い聞かせてみる。
桜が咲くのも、年一度。
毎月1回咲いていたら、どうだろう?それはそれで、いいかもしれない・・・
毎年1回花が咲き、年輪が1つ増え、重ねて大きく立派な木になっていく。
桜はちっとも急いでいない。自然は急がない。
急がなくていいんだ、と思った。
年をとるのはイヤだと思ったこともあるけど、ゆっくりゆっくり力をためて、生きて行くのだ。
今年の桜と、来年の桜は違うだろう。
今年の私と、来年の私も違うのだ。
満開の桜の樹の下で、友達を思い、自然の強さを見出し、自分の中の生命力を感じる。
桜は、「命をくれる樹」だと思った。
「お花見」をする、したくなる理由・・人は自分の「命の華やぎ」を感じたいのだ、と思った。
・・桜よ、あらゆる人よ、急ぐなかれ。生き急ぐなかれ。散り急ぐなかれ、と祈る。
やっと咲いた桜が、散ってしまうかと、なんだか気が気でなかった。
せっかく咲いたばかりなのに、もっとのんびりゆらゆらと、暖かい日ざしの中で、
できるだけ長く咲いていたいだろうに、と思って、心が騒いだ。
窓から見える近所の桜を、「散ってはいまいか」「大丈夫なのか」と何回も見た。
でも、夕方外へ出たついでに、桜の下へ行ってみたら
しっかりと、落ちることなく花もつぼみも、枝についている。驚いた。
満開の桜は強い。あれだけの風に、よく耐えたものだと命の強さを思う。
「やっと咲いたのよ!ここで散ってなるものか!」という、力強いつぶやき、の様なものを感じたような気がした。
急ぐなかれ、散り急ぐなかれ。
知人のAさん:
Aさんは美人で頭もよく、仕事もフル回転。小学生のお子さんがいる。
ちょっとはじっとしてたら、というぐらいに、よく動く。
よく言えばパワフル、ある意味では走りすぎなのでは、と思ったりする。
それから、「アンチエイジング」や「美を保つ」ことに異常に固執するところがあって、
アンチエイジング専門のお医者にかかったり、ネイルやエステに通ったり、トータルワークアウトとやらに行ったりと、
そりゃ逆に身体が持たないわな、と思うぐらいに一生懸命だ。
そのAさんが、人間ドックで泌尿器系と、子宮関係でひっかかって再検査となった。
その上、近頃めまいがひどく、その検査もしたところ、病名がついてしまった。
近々、入院する。
・・・やはり、急ぐなかれ、と思った。
ここで、ちょっと休みなさいという、メッセージなのかとも思う。
私は、「アンチエイジング」という言葉は嫌いだ。
加齢による様々なことー美容的なことや、体力や気力が落ちる、それを防ぐためにあれこれやりましょう、ということなのだろうけど、
それ自体は間違ってはいない。体力を維持するために、筋トレを続けるなどは、いいことだ。
だけど、ややもすると、加齢そのものを認めない、認めたくない、という流れになってしまうようにも思える。
生きている限り、誰でも、年をとる。
誰でも平等に、1年にひとつずつ、それは命のあかしである。
25歳と、36歳という若さで亡くなってしまった友達がいる。
彼女たちは年をとらない。永遠に。
加齢がいやだなんて傲慢だ。
1年に3つ4つと年をとるわけではない。たった一つずつ。その積み重ねが人生である。
私も、Aさんに似たところがある。あそこまでパワフルにはできないが、
忙しくしていないと落ち着かないようなところがある。
「急ぐなかれ」、である。自分にも、言い聞かせてみる。
桜が咲くのも、年一度。
毎月1回咲いていたら、どうだろう?それはそれで、いいかもしれない・・・
毎年1回花が咲き、年輪が1つ増え、重ねて大きく立派な木になっていく。
桜はちっとも急いでいない。自然は急がない。
急がなくていいんだ、と思った。
年をとるのはイヤだと思ったこともあるけど、ゆっくりゆっくり力をためて、生きて行くのだ。
今年の桜と、来年の桜は違うだろう。
今年の私と、来年の私も違うのだ。
満開の桜の樹の下で、友達を思い、自然の強さを見出し、自分の中の生命力を感じる。
桜は、「命をくれる樹」だと思った。
「お花見」をする、したくなる理由・・人は自分の「命の華やぎ」を感じたいのだ、と思った。
・・桜よ、あらゆる人よ、急ぐなかれ。生き急ぐなかれ。散り急ぐなかれ、と祈る。