あっという間に金曜日 1週間が早い、早い。
早いといえば、早起きが気持ちのいい季節、寝ている部屋の窓は障子なので、
朝になると、障子越しに白い光がいっぱいで、自然と目が覚める。
ベランダへ出てみると、いつも6時ちょうどに「ゴ~~~~ン!」と、
遠く小さく、どこかのお寺の鐘の音が(聞こえてくる。)どこだろう?
そのうち、音を頼りに、そのお寺まで歩いていってみたい。
だいたい見当はついているのだけれど。
職場でのこと
大学編入クラスを担当していますが
先日、一番前のはじっこの空席に、スーパーのレジ袋に本がたくさんつめこんであるものが無造作においてあったので、
「これ、誰のですか」と言ったところ H君が「あ、すいません僕のです」。
この子たちは、授業のほかに、通信教育で大学1年レベルの一般教養的なことを勉強しないといけないのですが、そのテキストでした。
学校あてに送られてきて、置きっぱなしにしていたので今日持って帰るそうです。
ちょっと見せてもらったところ、法学、心理学、歴史、英語、マスメディア論など、あれこれ入っています。
そういえば一般教養でやったよなぁと懐かしく思ったり。(いわゆるパンキョーね)
そうしたところ、そのH君が「先生って文学部ですよね」
「はいそうですよ」「・・・じゃあ、日本文学論っていうテキストの課題、やってもらおうかな!」
と、明るく言う。
私は「フフッ!」と笑ったのですが(^^)
・・・ここで、思ったこと。
普通ならば
「自分の勉強なのに人に頼むなんていけません」
「しかも先生に対して『やってもらおうかな』なんて気安く言うって、無神経です」
「それで頼んだところでやってもらえるとでも思ってるんですか」
と、言ってしまうところです。
私も言いそうになりました。喉まででかかりました。
でも、ごくんと飲み込み、再び、思ったこと。
この子が、本当に言いたかったことは、これではない。
「先生にやってもらいたい」と、いうことを言いたかったのではないと思う。
・・・話が飛びますが 「関係性を含んだ理解」について。
たとえば、AさんとBさんがいて、Bさんからの訴えがあるとする。
「Aさんは私にウソをつくんですよ。他のみんなにはつかないのに」
それですぐにAさんに対して「ウソをついてはいけません。」と言うべきか
その前に、「なぜ Aさんは、Bさんに対してウソをつくのか」を考えてみる。
→発言の動機。
「Aさんが本当のことをいうと、Bさんに嫌われるから、ウソをつく。
Aさんは、Bさんに嫌われたくないから、ウソをついている。」と、仮定する。
「本当のことを言わせない何かがある」と、Bさんが気づくこと。理解すること。
相手の、発言の動機に着目する。その人は、なぜそう言ったのか、そういう言葉を選んだのか。
その人が、本当に伝えたいことは何なのか。それを考えてみることが、お互いの「関係性を含めた理解」につながる。
戻りますが、H君。
この子が本当に言いたかった、伝えたかったのは、
「僕は先生を信頼しています」。
これです。このメッセージ。
なぜならば、信頼していない人に何かを頼む、ということはできないから。
信じて頼るから、「信頼」。
しかも通信教育の単位となるテキストの学習課題、自分にとってとても大切な勉強である、
それをわかっていてなおかつ人に頼むような子ではない。
冗談で言ったにしても、(人は冗談であっても相手を選ぶもの)
その言葉が口から出たベースにはこういう心情がきっとあるはず。
だから私は別に叱責するようなことはしなかった。黙って笑ってました。
そして、H君を見て、
「言いたいことわかったから。貴方が私を信頼してくれている、という気持ちは伝わりました。」
と、目で語りつつ?1回うなずく。
そうしたところ、照れくさそうにして下を向き、もうそれ以上は何も言わなかったH君。
その日の課題はハイペースで進み、なんと
原稿用紙5枚も一気に書き上げていました(#^.^#) すごいです(^o^)/
心配なのは、この子はちょっと躁鬱の気があるので、あまり飛ばしすぎないように、と思う。
英語担当の講師の先生と、お昼ご一緒したときに、やっぱりH君のことは
「このままいってくれればいいんですけど、大丈夫でしょうか」
という話になり、一抹の不安もあるといえば、あります。・・・ガンバレ、H君!
でも、私にできることはその時々の、発せられるメッセージに耳を傾け、
「ほんとうに言いたいことは何なのか」を一生懸命に考える、こと。
それしか、ありません。
それが、目の前にいる相手を理解していくことにつながると思うのです。
一般的に、世相として「ものを考える」代わりに、「感じる」ようになった、
人は感性で、つまり一瞬の「好き嫌い」の判断で何かを選ぶようになった、
といわれることがあります。
「感じる」ことも、もちろん大切。
でも、ベースには常に「なぜ」という「問い」を持っていなければ、
周りに、雰囲気に、流されてしまうように思えてなりません。
感情まかせになるのではなく、いったん立ち止まって、お互いの「関係性を含んだ理解」に努める。
家族、友達、上司と部下、先生と生徒、あらゆる関係で有効です。
・・・H君の発言をきっかけに、私ももう一度取り組んでみようと思ったのでした(^_^)v
良い週末を!
(^^)/~~~
早いといえば、早起きが気持ちのいい季節、寝ている部屋の窓は障子なので、
朝になると、障子越しに白い光がいっぱいで、自然と目が覚める。
ベランダへ出てみると、いつも6時ちょうどに「ゴ~~~~ン!」と、
遠く小さく、どこかのお寺の鐘の音が(聞こえてくる。)どこだろう?
そのうち、音を頼りに、そのお寺まで歩いていってみたい。
だいたい見当はついているのだけれど。
職場でのこと
大学編入クラスを担当していますが
先日、一番前のはじっこの空席に、スーパーのレジ袋に本がたくさんつめこんであるものが無造作においてあったので、
「これ、誰のですか」と言ったところ H君が「あ、すいません僕のです」。
この子たちは、授業のほかに、通信教育で大学1年レベルの一般教養的なことを勉強しないといけないのですが、そのテキストでした。
学校あてに送られてきて、置きっぱなしにしていたので今日持って帰るそうです。
ちょっと見せてもらったところ、法学、心理学、歴史、英語、マスメディア論など、あれこれ入っています。
そういえば一般教養でやったよなぁと懐かしく思ったり。(いわゆるパンキョーね)
そうしたところ、そのH君が「先生って文学部ですよね」
「はいそうですよ」「・・・じゃあ、日本文学論っていうテキストの課題、やってもらおうかな!」
と、明るく言う。
私は「フフッ!」と笑ったのですが(^^)
・・・ここで、思ったこと。
普通ならば
「自分の勉強なのに人に頼むなんていけません」
「しかも先生に対して『やってもらおうかな』なんて気安く言うって、無神経です」
「それで頼んだところでやってもらえるとでも思ってるんですか」
と、言ってしまうところです。
私も言いそうになりました。喉まででかかりました。
でも、ごくんと飲み込み、再び、思ったこと。
この子が、本当に言いたかったことは、これではない。
「先生にやってもらいたい」と、いうことを言いたかったのではないと思う。
・・・話が飛びますが 「関係性を含んだ理解」について。
たとえば、AさんとBさんがいて、Bさんからの訴えがあるとする。
「Aさんは私にウソをつくんですよ。他のみんなにはつかないのに」
それですぐにAさんに対して「ウソをついてはいけません。」と言うべきか
その前に、「なぜ Aさんは、Bさんに対してウソをつくのか」を考えてみる。
→発言の動機。
「Aさんが本当のことをいうと、Bさんに嫌われるから、ウソをつく。
Aさんは、Bさんに嫌われたくないから、ウソをついている。」と、仮定する。
「本当のことを言わせない何かがある」と、Bさんが気づくこと。理解すること。
相手の、発言の動機に着目する。その人は、なぜそう言ったのか、そういう言葉を選んだのか。
その人が、本当に伝えたいことは何なのか。それを考えてみることが、お互いの「関係性を含めた理解」につながる。
戻りますが、H君。
この子が本当に言いたかった、伝えたかったのは、
「僕は先生を信頼しています」。
これです。このメッセージ。
なぜならば、信頼していない人に何かを頼む、ということはできないから。
信じて頼るから、「信頼」。
しかも通信教育の単位となるテキストの学習課題、自分にとってとても大切な勉強である、
それをわかっていてなおかつ人に頼むような子ではない。
冗談で言ったにしても、(人は冗談であっても相手を選ぶもの)
その言葉が口から出たベースにはこういう心情がきっとあるはず。
だから私は別に叱責するようなことはしなかった。黙って笑ってました。
そして、H君を見て、
「言いたいことわかったから。貴方が私を信頼してくれている、という気持ちは伝わりました。」
と、目で語りつつ?1回うなずく。
そうしたところ、照れくさそうにして下を向き、もうそれ以上は何も言わなかったH君。
その日の課題はハイペースで進み、なんと
原稿用紙5枚も一気に書き上げていました(#^.^#) すごいです(^o^)/
心配なのは、この子はちょっと躁鬱の気があるので、あまり飛ばしすぎないように、と思う。
英語担当の講師の先生と、お昼ご一緒したときに、やっぱりH君のことは
「このままいってくれればいいんですけど、大丈夫でしょうか」
という話になり、一抹の不安もあるといえば、あります。・・・ガンバレ、H君!
でも、私にできることはその時々の、発せられるメッセージに耳を傾け、
「ほんとうに言いたいことは何なのか」を一生懸命に考える、こと。
それしか、ありません。
それが、目の前にいる相手を理解していくことにつながると思うのです。
一般的に、世相として「ものを考える」代わりに、「感じる」ようになった、
人は感性で、つまり一瞬の「好き嫌い」の判断で何かを選ぶようになった、
といわれることがあります。
「感じる」ことも、もちろん大切。
でも、ベースには常に「なぜ」という「問い」を持っていなければ、
周りに、雰囲気に、流されてしまうように思えてなりません。
感情まかせになるのではなく、いったん立ち止まって、お互いの「関係性を含んだ理解」に努める。
家族、友達、上司と部下、先生と生徒、あらゆる関係で有効です。
・・・H君の発言をきっかけに、私ももう一度取り組んでみようと思ったのでした(^_^)v
良い週末を!
(^^)/~~~