あまり多くない友人の1人と長電話をした。
彼女はいま両親の介護で大きな難題に直面中。
いや~~~辛いだろうな、と泣きそうになったが我慢して聞いていた。
同情や感傷なんて彼女には失礼だと思うから。
彼女は3人姉妹の長女で結婚相手がこれまた長男ということになった。
あと二人の妹さんのの3番目がご両親の近くに結婚したのだ。
親から結婚という形で独立してから、この妹さんが彼女たちの両親のあれこれを
一手に引き受けてきたということらしい。
どうもこのことが現在の3人姉妹の仲たがいの原因となっているらしい。
積年の恨みという形で、電話をしても居留守を使われてしまうのだ。
うぅぅ~む、かなり深刻だな。
親がどんどん弱ってきて、私の場合と同様に母親が先に病弱になってくると
子どもはとても不安になって辛さが倍増するように思える。
私の亡母は重症のリューマチで股関節を交換する手術の後
うつ病になってしまった。
それから60歳になるかならずかで初老性ウツから痴呆症になってしまった。
10年近くまるで枯れ木のような身体で生きながらえたが
3人兄弟の私たちは自分の子どもたちが生まれてからまもなくこのような重篤な母親の介護で
実家に帰ってまともにゆっくりした思い出が全くない。
実家に帰る=介護する、ということだった。
跡を継いだ兄夫婦とある時点から腹を割って亡母の介護の件で
本音で話をすることができて、現在の良好な関係が私たち兄弟は保てている。
早く気がついたから、そしてちょっとした勇気で兄弟関係が維持されたということか。
話を戻そう。
その友人は昨年くも膜下が破裂一歩手前で九死に一生を得たのだ。
3ヶ月近くも大学付属病院で入院をした。
その後、人生観がすっかり変わったという。
「生きてるだけで丸儲け」。
正しくそう感じるという。
ところが、現在、彼女の実家近くに住まう妹さんと親の介護を巡って
絶縁状態になっているのだ。
母親が明日介護施設に入所することさえ、姉である彼女には知らされていなかったという。
いやはや・・・どうしたらいいのだろう。
実家に1人残されたアルツハイマー病をもつ父親のことは彼女に一任されたという。
ただ車で往復2時間もかかる彼女が週に4回も父親のもとへ通うことは
昨年そんな大病をした彼女もいつまでもできるはずがない。
2時間ほど彼女の話を聞くことになったが、妙案は出ないまま。
本当に人生は予想外の出来事でいっぱいだ。
私の母親の介護は、私が30歳になってすぐ辺りから始まった。
思えば体力もあったからできたなぁと今になって思う。
これが彼女のように50代半ばから必死に介護となったら
私も彼女と同様に大病を抱えていたかもしれない。
思い返せば、勉強の出来不出来など、
その後におこる自分でコントロールできない不測の事態と比較すれば
なんとまぁ他愛のないことか。
あんなに厳しかった母親が、と電話口で泣いている友人を励ます言葉が
私には見当たらなかった。
母親っていうのは、子どもにとって大きすぎる存在だな。
去っていく夏にこんな歌を聞いています:斉藤和義「歌うたいのバラッド」
彼女はいま両親の介護で大きな難題に直面中。
いや~~~辛いだろうな、と泣きそうになったが我慢して聞いていた。
同情や感傷なんて彼女には失礼だと思うから。
彼女は3人姉妹の長女で結婚相手がこれまた長男ということになった。
あと二人の妹さんのの3番目がご両親の近くに結婚したのだ。
親から結婚という形で独立してから、この妹さんが彼女たちの両親のあれこれを
一手に引き受けてきたということらしい。
どうもこのことが現在の3人姉妹の仲たがいの原因となっているらしい。
積年の恨みという形で、電話をしても居留守を使われてしまうのだ。
うぅぅ~む、かなり深刻だな。
親がどんどん弱ってきて、私の場合と同様に母親が先に病弱になってくると
子どもはとても不安になって辛さが倍増するように思える。
私の亡母は重症のリューマチで股関節を交換する手術の後
うつ病になってしまった。
それから60歳になるかならずかで初老性ウツから痴呆症になってしまった。
10年近くまるで枯れ木のような身体で生きながらえたが
3人兄弟の私たちは自分の子どもたちが生まれてからまもなくこのような重篤な母親の介護で
実家に帰ってまともにゆっくりした思い出が全くない。
実家に帰る=介護する、ということだった。
跡を継いだ兄夫婦とある時点から腹を割って亡母の介護の件で
本音で話をすることができて、現在の良好な関係が私たち兄弟は保てている。
早く気がついたから、そしてちょっとした勇気で兄弟関係が維持されたということか。
話を戻そう。
その友人は昨年くも膜下が破裂一歩手前で九死に一生を得たのだ。
3ヶ月近くも大学付属病院で入院をした。
その後、人生観がすっかり変わったという。
「生きてるだけで丸儲け」。
正しくそう感じるという。
ところが、現在、彼女の実家近くに住まう妹さんと親の介護を巡って
絶縁状態になっているのだ。
母親が明日介護施設に入所することさえ、姉である彼女には知らされていなかったという。
いやはや・・・どうしたらいいのだろう。
実家に1人残されたアルツハイマー病をもつ父親のことは彼女に一任されたという。
ただ車で往復2時間もかかる彼女が週に4回も父親のもとへ通うことは
昨年そんな大病をした彼女もいつまでもできるはずがない。
2時間ほど彼女の話を聞くことになったが、妙案は出ないまま。
本当に人生は予想外の出来事でいっぱいだ。
私の母親の介護は、私が30歳になってすぐ辺りから始まった。
思えば体力もあったからできたなぁと今になって思う。
これが彼女のように50代半ばから必死に介護となったら
私も彼女と同様に大病を抱えていたかもしれない。
思い返せば、勉強の出来不出来など、
その後におこる自分でコントロールできない不測の事態と比較すれば
なんとまぁ他愛のないことか。
あんなに厳しかった母親が、と電話口で泣いている友人を励ます言葉が
私には見当たらなかった。
母親っていうのは、子どもにとって大きすぎる存在だな。
去っていく夏にこんな歌を聞いています:斉藤和義「歌うたいのバラッド」