私は、自分がピアノが出来ないのを、何か、他のもののせいにして、単に自分の練習不足が招いているのに過ぎないのに、「打ち出の小づち」を求めてしまっていた。
どんなに、個人教授だろうが、立派な教育機関で習おうとも、それには地道な、自己訓練、自己鍛錬、自己練習が、血のにじむようなかなりの努力が必要なのだ。
それは、本格的に習えたならば、上達も早いだろう。しかし、それは、お金を支払った、その対価の上での、ギブ&テイクの、それに、直に分からない所を教えてもらえるという、教室で習えるこれは利点だろう。
しかし、私は敢えて、難行苦行、でもないが、独学の道で暫くは地道に努力してみようと思い立ち、今日午前、ヤマハ教室に、無料体験、その後の教室への学習に通学するコースをキャンセルした。
私には、どうも、こういう習い事というのが、特に大人ともなって来て、億劫と言うか、それよりも一番には、お金が莫大、というか、多少なりとも、かかり過ぎる点を指摘したい。
お金の面では、既に私の金銭管理を担って頂いている、あんサポ、社協のあんしんサポートさんで、習い事の許可が出ている。しかし、それは、私のやむにやまれぬ向学心から来る同情心、義理人情から、本来は、お金を扱って、私の金銭を管理して下さっているのだから、びた一文、出て行くお金は、これは、収支を管理しなければならないお立場からも、許されない、という事なのだ。
それを、私への最大限の恩情から、特例として、お許し願えた、その、情けには、私は感じ入り、しかし、今回、こんな、早速、早足で、勝手に習い事を決めてしまおうとしてしまった。
その件をあんサポさんの担当者さんに話すと、一応のゴーサインは出るが、その後の、何よりも私の心配としては、経済的に、借金生活だったかつての様にはなって欲しくはないという、これはほとんど、親心に近い。
私の父親も、結局、若い頃、父の父、詰まりは私のおじいさんが亡くなった時、財産を本当は一人でもらえるはずだった。それが、その時戦後の、民法改正で、長男独り占めの財産譲渡、相続だったのが、兄弟姉妹との共同分割相続へと変わり、それに、おじいさんの時代は、地元の大地主だったが、戦後のGHQの、「農地改革」にて、土地をおじいさんが雇っていた、水呑百姓、小作人に分け与えねばならずに、父は時代に本当に翻弄された人生だった。
だから父は、そのもらった財産を貴重がったり、大事には扱わずに、わずか一代で全て湯水のようにあっという間に使い果たしてしまう。
私の父はだから、ケチでもないんだが、金遣いが荒い面があった。私は、その面、お金の使い方が、非常に父に似て来てはいないかと、ただ怖れている。
しかし、だから、あんサポ、あんしんサポートに金銭管理を助けてもらって、非常に助かる。
そういう訳だから、お金を有効利用する為に、私はピアノ教室は辞めにした。
大体、我が家には、初心者用のピアノ教則本、DVD等々が、まだ手つかずで残っているのを見て取っても、いかに自分がお金の使い方が下手かが判る。
これら学習書を、全てやり通してから、その後にピアノ教室へ、と言う流れなら判るんだが。
その教室も、最近の物価高で、月謝が月に二回、それもそれぞれたった30分間で、一万円に近い位の、かなりの値段がする。
その他、入学金、テキスト代、他、雑多な金額が他にも掛かり、その支払いを考えると、戦慄を覚える。
その教室の係りの方に聞くと、否、HPでも確かめて、今度の四月か五月にも、既に月謝の何割かの値上げが決まっているという。
しかし、以前、私が、これも二十年位前に習った事がある、堂前町の市民文化センター前のノア楽器のピアノ教室は、これはたしかやはり月二回で、一万を一か月で優に超えていたから、料金では、ヤマハは良心的だろう。
ともかく、私は私の道を自分で決めて、それで良しとしたい。私の前に道はない。私の後に道が出来る。正に詩人高村光太郎の心境だ。
一人で学ぶのも、非常に楽しい。自分なりの努力の跡が明確に判るし、成果が目に見えて判る。先生がいれば、それは、ご注意を受けたりするのが相場だろうが、私は、どんな弾き方でも、もしかしたら、そうやって、その人固有の個性と言うものを殺しはしないのか、その先生先生で全然教え方も違い、習う方が、出会った先生によって、かなり弾き方も変わるであろう。
それが、気難しい先生だったり、厳しすぎる先生、コワい先生など、私はハッキリ言って、そういうのはヤだね。
だから、いつでも、自由気ままと言う、これは独習・独学者の特権だ。
時々、我流、自己流を批判なさる先生を、ユーチューブ等で見かけるが、基本を教えた後まで、ずっと、基礎、基本を大事にしたいのだろうが、私はそういうのを見るとやり切れない。
あのザ・ビートルズがピアノを弾いていたが、あれも、彼ら一流の、ピアノと言う楽器の学習に取り組んだ、プロとアマの中間の、セミプロの、成果だと言えまいか。彼らは、ピアノに限らず、楽器なら何でも、音楽を心底から楽しんでいたのが如実に判る。
もう、答えは出ている。私は一人のこの身で、独学独習でやっていく事をここに語って、この文章の掉尾としたい。
以上。よしなに。長文失礼仕ります。wainai