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SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)批判・不要論への反論・持論・自論~後半は「コロナ」疑問論!

2024年05月11日 13時07分55秒 | 世界情勢、この世の成り立ち、成り行き、社会問題、原因と結果の因果応報の、道理
 私は今日この記事の直前にユーチューブ動画で朗読しお読みした、心療内科医の本の中に、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を若干否定した記事があったのですが、それに対して、少し、批判、反論と言うか、持論、自論を呈してみたい。
 SNSは、それはPCやスマホを代表とするネットの世界と無縁で無理解な人から見れば、得体の知れない、不気味なものに映るかもしれない。それに、最近の芸能人の、自死、特に韓国のスターの世界では特に問題となった事もあった。
 それらを踏まえた上で、私にとっては、依存症的な、強(共)依存が問題なのであって、或る程度の、距離感を持てれば、これは、多くの智慧や知識を、皆様のページ、サイトからは頂けるのであり、時として、その方その方の、日々の過ごし方等が垣間見られ、私にもとても参考になり、有為であり、有用でもあるので、何ら問題はないと考える。
 秩序を重んじて、剣や刀、若しくは銃(鉄砲)を使う人が、昔で言えば、訓練された武士侍が使えば最高度の利用価値があるが、これが使い方の判らない貴族皇族は使いこなせないし、反対に農民がこれを持てば、一揆などの、却って治安の乱れの元となる。
 だから、豊臣政権の、銃を含めた「刀狩り」は、大成功を収めたが、あれはあれでその後の日本の、アメリカの様な銃社会にも与(くみ)せずに、正しかったのである。
 閑話休題。話が微妙にずれてしまったが。
 私も日に、最低でも一度は(多い時で午前午後の二度位)皆様のサイト、ブログ記事、コメントいいね等をネットを介してお邪魔して閲覧させて頂き、こちらもそれに応えて返してゆく、心地が良い、リズミカルで、非常に有意義な、お知恵拝借の有効な時間を過ごしている。そして、自分の世界観の狭さを改めて認識もしている。「聴くは仏法の初めなり」とは仏教でも言うが、皆様のページ、コメント等を知る事は、仏法の聴く事とも共通性を感ずる次第。
 この一日最大二度の、私のブログ等徘徊遊行は、沖縄のブログを綴っている或る方の御意見の記事を、その方も午前中二時間、午後にも二時間、御高齢にも関わらず、リアクションを試みられているというのに私も賛同触発されて、それを見て読んだ瞬間から、私も是非とも真似して見習いたいと思いだした経緯がある。(aki18617さんというブログ主さんの記事から)。
 それらがある一定の線を超えて、度を越せば、これは問題であろうけれども。
 SNSとは、短文が主力のX旧ツイッターであり、個人名を出して、日々の雑感を綴る、フェイスブックであり、写真がメインの、インスタグラムであり、動画サイトのユーチューブ、そして正にここで論ずる場となっている、ブログサイトも、SNSに含めていいだろう。
 それらに余りに、自分の時間を忘れて熱中した時には、それなりに、自分にはペナルティというか、仏教でいう自業自得なんですけれども、自分の大事な時間が失われるようでは困る。そこは、私も常に気を付けております故。
 要は、バランス感覚、体操の平均台の様な、あんなにアクロバティックでなくても良いから、とにかく、平行して、事をこなせる能力も、私のような愚鈍な者が言うのもなんですが、必要かも知れませぬ。
 子供さんには、ブログ程度なら、文章を書く練習には、まだいいのかな。とは思いますが。まだ早いかな。親御さんがダメと言えば、ダメなんでしょう。
 お子さんは、本当に難しい時代ですね。私の子供時代には、全くなかったものばかりですから。
 あの頃、あの時点で、今のような時代が訪れていたとしたら、私はどういう行動をとっただろうか。むしろ、今の子供達の方が、学校の授業で、「ネットリテラシー」などを、情報の授業で習ったりしていて、私共大人より詳しかったりするんでしょうね。 
 とにかく、私は、SNSに対しては、時として、その怖さを体感している(相手の顔が見えない、文字だけじゃ相手の意図が判らない等々)時もありますが、全体的に見て見ると、これ程有為な、優位に立った世界、場は、今までのテレビやラジオや新聞等と言った過去の旧来の遺物の様なメディアに比べて、真新しさも幾分手伝っているけれども、それを度外視しても、これは凄い時空間だなとは思います。
 しかし、今までの、それら、テレビラジオ新聞等が劣る、という事ではありません。それなりに、メディアを選べば、情報を得る、充分、力、武器にはなり得ます。
 それにしても、今現在、私は警察が発するポリスメールの愛読者なのですが、依然として、いまだ止まぬオレオレ詐欺の類、Eメールによる詐欺、PCがウィルスに汚染したと詐称偽装して引き換えに金品要求、投資詐欺、ロマンス詐欺他、等々、それらが、騙される方が悪いのか、否、絶対に、騙す方が断然悪いのですが、こちら側、ネットユーザー利用者の、鉄壁の守り、知識智慧を総動員して、それらに騙されぬよう、細心の注意を払える、度量と余裕、注意力が必要だと私なりにも思っております。
 その点、過去の話になりますが、あの、「コロナ禍」とはなんだったのだろうか?!あれ程騒いで、実際には、あの騒動にかこつけて、コロナワクチンを六回も七回も打っていた、特にお年寄りを中心とした、悪く言えば、「国・日本医師会・ワクチンメーカー」に「騙されて」いたんではないのか。
 あれは悪い何かの冗談ではなかったのか、との気分に支配されて、ああいうのを、「大山鳴動して鼠一匹」というのではないのか。
 目に見えない病気症状の「ウィルス」に目を付けて、コンピュータウィルスや、迷惑メール、人からの詐欺より怖い、たちの悪い、自称詐称「病・症状」から避けて逃げ出したい集団心理・パニックを利用した、一種の経営手段手法、それが政府や省庁、(まさかとは思うがマスコミも?)、自民党への圧力団体日本医師会、病院、医療関係者、ワクチン製造製薬大手メーカー、中国製品を中心としたマスク販売者の術中に見事にハマった、「やらせ」に近いあの時の、特にお人好しの日本人の振る舞いじゃなかったか、との思いをはかなくも情けなくも感ぜられ禁じ得なかった昨日今日のこの頃です。

以上。よしなに。wainai
我が家では不要であり、全く一度も使われなかった「アベノマスク」。これはハッキリ言って、「蔑称」だと思うが、生前の安倍氏は、この名称に果たして喜んでいた向きもないではない。今にして思えば。
税金もこのマスクを国民一人一人に配る為に、一体、幾らかかったのだろう。
百年前の、感染症学、疫病学に獲り憑かれた、ゾンビ政権、安倍政権ならではの、芸当であり、架空のコロナウイルスが流行っていたのか、税金無駄遣いのアベノマスクが流行っていたのか、今では全く考えられない現象・流行であった。

恐々謹言。長文失礼。


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