Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

『文学崩れ』

2022年12月10日 13時57分19秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 私が福島県立安積高校時代、高校の先生、担任は、男性の、国語教師で、この教師を、私は余り好きではなかった。
 何かだらしない。何か不熱心である。自分の、教育熱心さが全く無い。
 私にとり、欠点だらけの教師であり、私は、心底嫌った。大嫌いだった。
 このクラスは、このだらしない教師の影響を常に受け、学年最初当初の学年発足スタート時期は、成績では他のクラスよりも常に一位、二位の、上位をキープしていたが、この教師の受け持ちの期間は、特に後半などは、次第に成績が低迷しだし、最下位すれすれに大低迷した。実際に最下位の憂き目にも遭った。
 全ては、本当にだらしがない、この教師の、怠慢、驕慢、懈怠の教え方、考え方、指導の仕方の過ち間違い、生活の乱れたこの教師自身の性質、資質に負い、伴うものであった。トップが狂えば、末端までが狂う。今の池田大作率いる創価学会と同じ論理である。
 ある時、その教師は、自身が仙台市の、東北大学文学部国文科出身であり、その、仙台の街にて、その日は大いにはしゃぎ、飲み歩き、同じ学生連中と店から店へと梯子(はしご)して、大酒を飲み下し、仙台を大股で歩き、大袈裟に、えばったような事を言い、大威張りで、我らクラス生徒に誇らしげに語ってみせた。
 私は、その時、それに対して、無性に腹が立ち、家に帰り、その事を、あの先生は、どうもおかしい、不真面目だ、おかし過ぎると、真面目になって、うちの母に直訴し、訴えた。
 すると、うちの母は、母は大学へは進学はしなかったが、実際、東京の新宿区にある一大進学校、東京都立戸山高校生時代から、その卒業した後、その人達が大学へ行き、その後の人生も実によく知っているらしかった。
 その先生の、汚らしい程の、行状記、バンカラ、破廉恥(ハレンチ)振りを、私が母に語り、言うと、即答で、「そういうのは、そういう人を、大学文学部出身者の、『文学崩れ』と言う」と言い、そう、はっきりと言って、結果、母も私と同盟を結んだ形になり、その先生を親子二人で軽蔑し憎悪した。
 母は、文学者、この場合、その、生活が乱れた作家陣、無頼派と呼ばれた駄作・「人間失格」の太宰治、や、もっと前の、「布団」の、田山花袋など、そういった、乱れた生活を送りつつ、自分の執筆した作品、下卑た作品を提示・陳列し、目の前に見せ、迫って来る様を、非常に厄介であり、それら文学者、生活の乱れた文学者共を、大変に心底から軽蔑していた。これには、私も一理あるなあと、深く日頃から思い、感じていた。
 私は、その日は、家に帰っても、その変な先生の事が気になってしょうがなかったが、うちの母の「文学崩れ」の言葉を聞き、絶対に自分は、大学の文学部になんかは進学したくない、と思い始めた。そうして、妙に安心して、その日明日の予習をして、自分の床に安心して入れて、ぐっすり眠れたのを、昨晩の如くに、今も思い出している。

 以上。よしなに。wainai


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