日本は法治国家である。しかし、何かを要求するにしても、こちらから、申請をしないと、絶対に向こう側、詰まりはお役所からはびた一文、助けてはくれない。
私のように、少し、法律をかじったり、かつては大学の法学部に在籍した者にとっては、それは当たり前の感じもするが、この、いわば、日本の行政は、究極の「お役所仕事」にまみれて包まれ、身動きが取れなくなっている気がする。
以前の、何でもハンコ、印鑑社会から、サイン一つで済ませる方式を採用したのは称賛に値するが、いまだに重要な、お金が動いたり、契約の場面では、印鑑が幅を利かせている由。
私はこの所、一人で、法律的な準備の行為をしていて、本当に、お役所は、文書、書類の類が好きな場所だな、とは思う。嫌気が差す程に。
こんなだから、世界的にも、日本は立ち遅れているのかな。その面、世界はどうだか、住んだ事もないから、これはあくまでも想像の域を出ない。
もっと、日本よりも文書まみれの国もあるのか。
大体、自分ら役所が発行した書類を、敢えて、私たち市民にもう一度書かせたり、役所経由で取り寄せたり、それって余計じゃないの?との疑問が沸々。
しかし、これだけ書類、文書を作って、金で売って、幾ら儲かり、そうして、お役所は、どれだけの紙・パルプを無駄にしてきたのだろうか、今に至るまでに。
何度でも言う。これは高校の国語科の恩師が常々言っていた事。「文学では、世の中や、人間は救えない!」と。
私も言う。「法律・法学では、人間は救えない!」と。世の中の仕組みは知れたとしても。
これは、確信的に、言い切れる。法律じゃ人間は絶対に救えない。
では、何が人を救い得るのか。
それは、医学薬学看護学、福祉学、等々の、例えば実学、人の人生、一生を下支えする、有益な学問である。
これらは、或る程度、当たっていると思う。
人それぞれ。人が、自分がその学問で、自身の生活が成り立ち、その学問の御蔭で生きていけたら、何だって、その人一人きりでも、救った事にはなる。
だから、これは愚問かも知れない。
しかし、何が役に立ち得る学問なのか?果てしない、考えた末にたどり着いた、その先には何が見えるのだろうか。
私には、大きな未来、現実的な実感がそこにはある、と思っている。
偏差値や、学力差など、この際、関係はない。一切そんなものを取っ払った、自分が信じた道を突き進む勇気、正にそれ一本に懸かっている。
無知の知を知り悟った、哲学者ソクラテスのように。
※或る意味、日蓮正宗の、これは勿論宗教だが「信・行・学」の三つの徳目の方が、人生の為にもなり得る。それは結果・結論は、勤行唱題折伏行、自行化他の実践行、世の人々にあまねく悪を戒め善の施しをする慈悲行の、これらにわたる人生の人格陶冶にこそあり、と私自身、睨んでいる。
軍配はこちら日蓮正宗に上がり、ここに世界最高の仏教仏法哲理哲学があると見た。
以上。よしなに。wainai