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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

第一回寿海寺支部宗祖日蓮大聖人御生誕八百年慶祝記念総登山

2023年03月26日 20時49分08秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
見事な桜の花です。
日蓮正宗、三門です。
これだけの人々が、御開扉をお待ちしております。
車内から見た、五重の塔。
記念品の、御数珠。御念珠。
大御本尊が御安置されている、奉安堂。横側から見た風景。





 この日は、雨に降られ、富士山は見えずじまい。かなり、富士山に期待していたので、非常に残念であった。
 しかし、雨の中で、桜が満開となり、静岡県富士宮市上条にある、日蓮正宗総本山富士大石寺では、雨が美しい櫻花を濡らし、まるで幻想的世界観で、我ら正宗信徒寿海寺支部の者達を迎えてくれた。有難かった。雨の桜も、抒情があって乙なものである。大石寺の桜は、どれもこれも非常に見応えがあり、見事なものである。
 御開扉では、大御本尊様へ、自身と母の健康、その成し得る限りの永続。自己の夢の実現。自己の成長。自分の自由への希求。自立への第一歩。自己の立身出世。よく眠り、よく食べ、よく笑えるように。朝夕ちゃんと祈れるように。朝ご飯からちゃんと食事を欠かさず摂れますように。大聖人様の「事の一念三千」の、実際に学んだ知識を行動に移せるようになる事共。思考を現実化する事。薬を信心と同じように大事に忘れずに服薬する。あと、理屈をこねずに現実化して、実際に行動する。何でも躊躇せずに、行動の一歩を図る。
 その他、必然的に、これ以上、他人様とのいさかい、軋轢、闘争、貧病争の困苦の解決解消、それら問題を出来るだけ避けて、貪瞋痴(とん・じん・ち=むさぼり・いかり・おろか)の三毒、特に瞋りは地獄への、自身の他人様への怒りっぽさへの、その苦しみの除去、永遠にそれらとの決別を必ず執念を以て必ずやり遂げる。他人様ともっと仲良く出来得る限り友好的に必ずやってゆく。他人様とのトラブルを全くと言ってもいい程、避けて無くす努力を必ずする、必ずやってゆく。今後の私の人生は、後半生は是非とも、今までとは違い、打って変わって、他人様との、平和主義、慈悲行、真心行で必ずやってゆく。その祈り、その自覚、その決意、その覚悟!!!そこでその場で大御本尊様へ、私は全ての事、万事万般を祈った。あの、昭和の頃、わたしのおばあちゃんもお祈りをした、大事な大御本尊の場にて。
 その他、私に関わってくれた、全ての事に尽力されて居られる、福祉関係者の方々、医療関係者の人々の、その他、日蓮正宗の信徒の方々、全世界中の人々、どんな宗教で有れ、皆、どんな人であろうと、悪人も善人も、一切衆生、人間である以上、敵も味方もない、ノーサイド、お互い、仏心、仏性を心の中に宿すのであるからして、その上で、それを踏まえて、その貴い方々お一人お一人の、心身上、健康上、生活上、仕事上等々の、御平安、御長寿、御健康、御発展、御繁栄を弥栄に(いやさかに)御祈念しつつ、涙ながらに、涙も枯れ果て、この中で最も小さな者ではあるけれども、大それてはいるのだが、お節介にも、心苦しくも、大御本尊様の下へと衷心から、訴え掛けるように、この願いが必ずや叶うようにとの、以上を以てして、私は非常なる、正に、脳髄(なづき)が砕ける思いで、大願成就を願う、個人的な、願掛けを致しました。この卑小なる私めが、それら方々をお一人も残さずに、御祈願した積り、次第では御座います。
 最後に、第六十八世日如御法主上人猊下様も、皆様の為に、非常な御祈りを以て、所願満足、恒久世界平和、所願安堵、家庭円満、その他、万事に亘り、皆皆様の御祈念をこの場で致した事、旨、等、申され遊ばされて、その後の題目三唱にて、猊下様は、御退出為されて、それに付き従う、御僧侶様方と御一緒にその場をしずしずと御立ち去り御遊ばされ為されられた。
 私などは、その場で暫く軽く息を呑み、何だか動けなくなったかのような感動を頂き、打ち震えていた。これこそが、まさしく、創価学会や顕正会などには無い、本当本物の立派な一宗一派を末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様、第二祖開山日興上人様が打ち上げ、立ち上げられた、歴史ある、伝統宗教、高等宗教なんだと。
 暫くして立ち上がると、整然と係の方達が、皆大勢、その場には何千人という人々がお祈りしていた訳であり、事故等ないように、非常な振る舞い、計画的に、人々を外へ退出させるのにも、粗相がないように、この列の方から立ち上がって、静かに、御退出願います、との心の機微、やさしさがそこにはほのかに漂い、我々日蓮正宗信徒の、一人として、安全に無事にお帰りして頂こうとの、若い彼ら彼女らの、登山役員任務者の、非常なる熱意を感じた。涙に又、涙が重なり出そうな状態であった。
 この日の為に、私の母と、一緒に住まい、母が栃木県塩原温泉郷に働いて居た時に使っていた、今は長年使い、その字も剥げてしまった「明賀屋温泉旅館」の手ぬぐい、タオルをこの時、私は事前に持ってゆき、「感動」「涙対策」として、持ち込み、既に御開扉の時、手ぬぐいを、膝の上において、既に、即スタンバイ状態であった。
 もう、この日も、涙涙、であり、この時の感動は、筆舌に尽くしがたい。いつも感動して泣けてくるんだが、この場合、コロナ禍の三年余りの、鬱屈とした日々を潜り抜けて来た者達だけが知り判る、この幸せ感、気分の良さも手伝い、泣けるかと思ったが、正直言うと、最初に、猊下様が出て来る前の段階で、コロナ禍が明けた慶びから、泣けはしたが、それ程でもなかった。
 後は祈りに集中する関係上、読経唱題の間中は、全く泣けず、その後の猊下様の御説法に手を合わせ、集中して泣けず、全く泣けない。
 泣いたといえば、その、祈りが始まる前の、数分間、一分にも満たない時間が、その時間かなあ、と思う。
 とにかく、これで、今年で、もう、大御本尊様への御開扉が、私自身が入信以来、八回目くらいにはなるんだろう、おそらくは。もう数も思い出せない位総本山へは行っている。
 それでは、最初の感動も、中々ねえ、といった所であり、心に、免疫というか、そういった類のものが出来上がってしまっているんだろうねえ。
 しぶとくなったと言うか。ズルくは成ってはいないとは思うんだが、あッ、これは慢心、増上慢では御座いませぬぞよ。いつまでも純真でいたい。順心で素直でありたい。
 初心忘るべからず、であり、ベテランには向かってはいるが、何せ、年数でも、まだ、日蓮正宗の生粋の親御さんから法統相続をされた子供達、小学生レベルの子たちの信心にも劣ると言う、こればかりは、私も、年数ばかりじゃないとは言われるが、信心を知らないのは事実であるからして、本当に、子供から仏法を学ぶこともありなんじゃないかとの思いが禁じ得ない。人生皆、師なのだから。子供から説法を聞く、とか。
 しかし、本当に信心の話を聞けるのは、やっぱり大人の方々。以上の、子供の話は皆、冗談。この日蓮正宗の方々、先輩後輩問わず、皆、同志の方々。信心の仏法の熱き話を熱心になって聞く。何と極上の時間の使い方であろうか?!これ以上の幸せがあろうか、ある筈が無い。
 ではあるが、やはり、実際上、我らが根本とすべきは、御法主上人猊下様、末寺の菩提寺の御住職様の御語りになられる御言葉、御説法の一言一言に、注意を傾けて必死になって耳を研ぎ澄ませて聴こうとする、その気迫、その気概、その覚悟!!!「聞くは仏法の初めなり!」正に、それである。
 話しが又もや脱線してしまった。そうして、けれども、今日の御開扉が、全く感動が無かった訳では全くない。体がしびれる程の、打ち震える感動があった。それは、掛け値なしの感動体験だった。これは打ち消しようがない、事実・現実である。生きていて良かったと最大限思える、大感動の連続の瞬間だった。
 とにかく、宿坊での、朝の六時位からの勤行と、朝九時の、その、寺域の一番奥の巨大大伽藍の、奉安堂での、三大秘法の本門戒壇の大御本尊様への御開扉と、滞りなく進み、我ら寿海寺信徒は、昼十二時前には総本山富士大石寺を名残惜しくも去り、家路に就き、末寺の、福島県郡山市の無量山寿海寺に着いたのは、時計の針が、夕刻、午後五時ジャスト、の時刻になんなんとする時であった。
 雨は暫く、尚もポツポツ、ザーッと続いて降り続けていた。

以上。よしなに。wainai

誠に長文、御無礼、失礼致しました。


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