【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

タッケンとの再会~

2014年12月10日 | 徒然日記
タッケンとの再会~

今から35年ほど前、僕が小学生高学年の頃、最も仲の良かった友人、それがタッケンであった。

家が近所ということもあり、数え切れないくらい僕はタッケンの家に泊まった。35年経った今でも尚、当時のタッケンの家の造りを憶えているほどだから相当厄介になったのであろう…。

タッケンの家に泊まると毎朝、タッケンのお母さんが朝ごはんを用意してくれたのだが、必ずその朝ごはんの味噌汁には半茹での卵が浮かんであり、そして切れることなく必ずあった白菜の漬け物にはすりゴマが振りかけられていた。

くだらない事だが未だに忘れられない記憶の欠片である。

今は時効と書かせてもらうが、タッケンの部屋の壁に飾られた額の裏にはエロ本が隠されてあり、夜な夜な2人でそれを眺めたりした事も憶えている。

タッケンとは小学5.6年と同じクラスで、中学1年の1学期が終了した時点に僕が隣の中学に引っ越すまでのほぼ毎日顔を合わせていた。

小学5.6年のクラスがかなり熱血なクラスだった事もあり、僕の小学時代の記憶の大半はその高学年での出来事で構成されていたりする。

僕はたしか学級委員だった。

まだテレビゲームなどが存在しない当時の僕らの一番の遊びは、放課後に中央公園に集まりクラス対抗で戦う草野球であった。

身体が大きく親分肌だったタッケンだが、いつもポケットに小遣いを持ち合わせており、その野球の合間などによく金のない僕はアイスを奢ってもらっていた。

そんなタッケンだが、中学に進み、いかつさに益々拍車がかかり、中学そして高校とその学校の番を張るようになり、周りのみんなから一目置かれ、また怖がられるその道では、北摂界隈でも有名なオトコとなっていった。

そんな話は隣の中学にいる僕の耳にも風の噂で届いたりしていたが、僕にとってのタッケンはいつもの変わらぬタッケンであった。

引っ越してからも何度となく遊んだ。

しかしやはり違う学校に進んだということもあり、自然と連絡のやり取りもなくなり疎遠になっていった。

そして今日、僕はタッケンから連絡をもらい、35年振りにヤツに再会した。

タッケンが経営する大阪豊中の会社の応接間にて2時間ほど、2人しての35年分の弾丸トークであった。

しかしこの感覚はなんといえば良いのであろう…

ずっとどこかに置き忘れていた物を見つけた感覚と云おうか…

すこぶる心地よい感覚であった。

また、タッケンが会社経営に成功活躍している姿を目の当たりにして本当に嬉しく感じた。

今度は飲みに行こうと話し帰ってきた~🍀

今日は本当に良い1日となった。

タッケンおおきに!