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「史劇で歴史を読み取る」シリーズ6

2009-10-15 20:24:41 | 엄태웅
Ohmy Newsの秀作記事? 同シリーズの新しい記事が出ていたので、またまた長いですが掲載します。

ミシルが700冊にも及ぶ自叙伝を残していて、それが日本の王室図書館(そんなもの・・あるでしょうね。名前はちがうだろうけど。)にあって、返してくれないみたいなことも書かれております。

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老いたミシルの最後挑戦、果たして大権になるだろうか
[史劇で歴史読み取る] MBCドラマ <선덕여왕>

09.10.14 10:12|最終アップデート09.10.14 10:12

しばらく地味だったドラマ<善徳女王>の構図がまた急変している。トンマン王女(イ・ヨウォン)に続くキム・チュンチュ(ユ・スンホ)の大権選挙挑戦宣言を契機に、新羅政界はトンマン-チュンチュを中心に迅速に再編されるようだった。

こういう雰囲気の中でトンマン陣営ではキム・ヨンチュン(ト・イソン)がチュンチュ側に離脱して、ミシル陣営ではセジョン(トッコ・ヨンジェ)とソルウォン(チョン・ノミン)がチュンチュを婿とするために互いに激しい競争を行った。セジョン側とソルウォン側はさらに互いに刀を差し出す活劇を演出することさえした。

このように各勢力が各々「夢」を見て鳥の巣を忙しく探している時に「皆、夢からさめて!」といって冷水を浴びせた人物がいた。 まさにミシル(コ・ヒョンジョン)だった。
しばらく現実政治を無視したまま昼間でも夜でもずっと寝るだけだったのが、突然徐羅伐(ソラボル)の外で風に当たりにでかけたミシルは真夜中に徐羅伐(ソラボル)に戻ってセジョンとソルウォンに爆弾宣言をした。 「私が直接出てみようと思う!」

「必ず一度王侯になってみたい」というミシルが今は王侯の異常を見下しているのだ。
そのようなミシルを見てトンマンだけがチュンチュに話した。「みな私たちのせいか」と。「女の私が大権選挙に挑戦したのと、真骨の君が骨品制度はいやしいと宣言したのがミシルを悟らせたことなの!」と。女のトンマンが王位に挑戦する姿とチュンチュが骨品の壁に挑戦する姿がミシルに新鮮な衝撃を投げるのと同時に彼女の内在した欲望を刺激したという分析だ。

キム・ユシン(オム・テウン)の風月主就任(612年)当時にミシル(546~549年出生)の年齢がすでに64~67才だったので、今は60代後半あるいは70代に入り込んだミシルとしては政治人生の最後の挑戦に出たもようになる。

「私が直接出てみようと思う」という言葉が正確に大権選挙挑戦を意味することなのかはこれからもう少し見守ってこそ知ることが出来るだろうが、現在の状況で見る時ドラマの中ミシルは女王の席を夢見ていたり、でなければ政治的地位を極大化しようとする欲望を持っているのが確実だ。トンマンとチュンチュを中心に動こうとしたドラマ<善徳女王>中、政治勢力はこれでミシルの歩みをひとまず息を殺して見守るほかはなくなった。

人生晩年、歩ジョンの母として生きた「ミシル」

13日放映された<善徳女王>第42話では上のようにミシルが生涯最後の政治的挑戦を決心する過程を見せてくれた。ミシル役の俳優が相変らず若い顔を維持していてまともに実感するのが難しいだろうが、この当時のミシルはすでに60代後半あるいはそれ以上になっていたので<善徳女王>のの話のとおりならばミシルは政治的地位の極大化に向かって人生最後の挑戦に出たもようになる。

それなら、<善徳女王>第42話のあらすじは人生晩年のミシルをどれくらい忠実に描写したのだろうか? 60代後半あるいはそれ以上になったミシルは果たしてドラマの話のように人生終盤にまた一度の政治的冒険を試みたのだろうか?

ミシルの最後を知らせている筆写本<花郎世記>第16世風月主ポジョン編によれば、「大変残念ながら」私たちのミシルは「政治家ミシル」でない「母ミシル」としての夢のために自身の人生晩年を捧げたという。「ポジョンの母」としての人生を飾るのに特に比重を置いたものとみられる。

<花郎世記>第15世風月主キム・ユシン編によれば、ミシルは第14世風月主ホリム(在任603~612年)の下で第2人者の副弟を過ごしたポジョンに「副弟席をユシンに譲歩しなさい」と薦めた。ミシルとしてはユシンのおばあさんの万戸太后との提携を強化するためにそのようにするほかはなかったことからと見られる。

次期風月主席が確実視されたポジョンはそのためにしかたなく伽耶出身の駆け出しのユシンに自分の地位を譲歩してしまった。ポジョンの譲歩を踏み台で副弟に昇進したユシンは3年後の612年に第15世風月主に昇進して新羅最高のジュニア エリート席を占めることになった。

ドラマとは違い柔弱で女らしかった「ポジョン」

ところで風月主に昇進したユシンはポジョンに恩恵を返すつもりがあまりなかったように見える。<花郎世記>第17世風月主ヨムチャン編によれば、ポジョンの譲歩のおかげで副弟および風月主となったユシンとしては当然ポジョンに副弟席を与えなければならないのに、ユシンはポジョンでなくヨムチャンという花郎を副弟席に座らせようとした。

ヨムチャンが副弟席をさておきポジョンを積極的に推薦したおかげでポジョンがユシンの下でまた副弟になれたのだが、誰か見てもユシンの行動は恩恵を分からない人の行動だった。ユシンはポジョンを無視したのだ。

ユシンがポジョンを無視した理由はポジョンが柔弱な性分の持ち主だったためだと見られる。<花郎世記>ポジョン編によれば、ポジョンは情深くて文を書くのが好きだったしあたかも女のように温和で優しかったという。その上彼は会議をする時にも「はい」、「はい」という言葉だけ言うだけで、自分の考えをまともに表明できなかったという。

比較的強いイメージを持っているドラマの中のポジョンと違い、実際のポジョンは悪く言えば柔弱な人物で良く言えば外柔内剛型の人物だったのだ。ポジョンの性分がそうであったので、勢い堂々としたユシンの目にはポジョンがつまらなく見えただけだった。

そのようなポジョンの姿を見守って誰よりも心が痛かった人物はポジョンの母のミシルだった。晩年のミシルにはそのような息子がいつも心配事であった模様だ。<花郎世記>ポジョン編によれば、ミシルはユシンに「私の息子は愚かで弱いから、助けることを望む」という請託をしたことがあるという。これに対してユシンは「ご心配しなく」と答えたという。

ポジョンより年齢幼いユシンに自分の息子の将来をお願いするお母さんの心はどんなものであったか? 自身より46~49才程度幼くて事実上孫閥ということができるユシン(595年出生)に自分の息子の未来を切実に頼むお母さんの心はどんなものであったか?  それだけ晩年のミシルには何よりも息子ポジョンの未来が最も大きい悩み事だったのだ。

そのような切実だということが通じたのか、ユシンの下で副弟席に復帰したポジョンはユシンに続き無事に第16世風月主席に上がることができた。一時ユシンに無視を受けて押し出されるところだったポジョンの母の後援のおかげで花郎最高の席に上がることができたのだ。

したがってミシル生涯最後の挑戦があったとすれば、それは息子ポジョンを風月主にする仕事だったといわなければならないだろう。それがミシル人生最後の戦だということができるのは<花郎世記>ポジョン編の記録のためだ。

ミシル、自身の人生談は手記700冊余りを書く

<花郎世記>ポジョン編では、ミシルがユシンに自分の息子をお願いしてポジョンが無事に風月主に上がる場面を描写した後、直ちにミシルの死を記録した。
したがってミシルは息子ポジョンが風月主に上がった以後のある時点で死亡したのだ。正確な死亡年代は分からないが、だいたい610年代中盤から620年代に死亡したと推定される。

上のように歴史記録によれば、実際のミシルは人生終盤に「今は私が直接出てみようと思う」として大権選挙地図を揺さぶったのでなく事実は息子ポジョンを風月主にするのに力点を置いたのだ。彼女の最後の挑戦はポジョンを風月主席に座らせることだった。政治家ミシルでない母ミシルとしての「素朴な」夢を彼女は見たのだ。

一方,息子ポジョンの前途を磨いておくことの他に、ミシルが人生終盤に精魂を込めたもう一つのことは自身の自叙伝を完成することだったものとみられる。<花郎世記>ポジョン編によれば、ミシルが死んだ後にポジョンのお母さんの手記700冊を入手して直接書き写したという。

筆で書いた700冊の分量ならば今日とすれば多分100冊を越えないだろう。現代的概念で100冊未満の本を残したとしても自叙伝を100冊も書くということは非常識的なことであるから、その中の相当数は日記的性格の文だったと見なければならないだろう。そしてポジョンがお母さんの遺稿を所蔵できなくて苦心して書き写すほかはなかったことは自身が原文を直接確保できる立場ではなかったためだと見られる。

とにかく、自身の人生と関連してその多くの分量の記録を残したとのことは、ミシルが若いころから着実に自分の人生を文で整理しただけでなく人生晩年に至ってはより一層この作業に拍車をかけたことを見せてくれたということができる。その自叙伝の中に興味深い内容がたくさん盛り込まれたと考えられるが、現在には記録全体が伝えられないでいるので、ただ残念だというほかはない実情だ。

去る8月13日付 MBC <ニュース後>報道によれば、韓国から消えた相当数の古書が日本王室図書館に所蔵されているだけでなく、伊藤博文が1028冊の朝鮮王の文書保管庫図書を貸し出し申請もしないまま日本から持っていって以来まだ'延滞料'も支払われないでいるというから、「ひょっとして日本王室図書館でミシル自叙伝の一部だけでも探すことができはしないだろうか」と期待するのは行き過ぎた執着であろうか。日本側がまともに協力をしないから、ごり押しで奪ってくることもできなくて今は何もできないのが実情だ。

とにかく晩年のミシルは上のように柔弱な息子ポジョンの前途を固く守る一方、自身の人生を几帳面に文で残すところに注力した。 換言すれば、彼女は子孫の人生を守ると同時に自身の人生を静かに整理するところに主眼点を置いたのだ。

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