電車の行き帰りだけで読んだので、まだ少ししか読めていない。
「近くて遠い国 韓国」、呉善花さんは「遠くて近い国」と書かれていたが、どっちの言い方が当たっているのだろう。
近いだけに、また、昔から交流があっただけに、かなり似ている国なのに、コマコマと違うところがあって、それがお互いの誤解の原因になっているのだと呉さんは言う。
今までにも何度か書いたけど、韓国の価値観とか言葉の使い方とか、本当に知れば知る程頭をかかえてしまう。
お役人とか両班と呼ばれる地主などの支配階級?の人たちが偉くて、他の庶民は貧しく・・という流れを今も引きずっているので、ドラマの多くもそのことがからむことが多い。
俳優や歌手などという職業の人も低く見られていると「新 スカートの風」 「続 スカートの風」には書かれていた。ただ、この本が書かれたのは1992年なので、今から17年も前。今はだいぶ価値観も変わってきているだろう。 ※書名間違いにつき修正しました。
最近では、映画やテレビ業界に優秀な人が入ってくるようになったと監督さんなんかも言っているし、日本だって、かつて俳優などは低く見られていたが、今はそうでもない。
お役人と両班というのも、日本でも多くの土地ではまだそういう価値観はあるしね。
私の住んでいる摂津の国は、江戸時代に特別な扱いを受け、ここには統治するお殿様がいなかったので、お役人の影が薄い。決まったお殿様はいなくて、それこそ中央から役人が交代で赴任してきたから、土地に根付いた役人はいなかったも同然? 大阪は商人が幅をきかせ、役人なんてなんぼのもんや! という土地。今でもそうだ。
摂津の国は廃藩置県の時にも、一つの県として独立すると危険とみなされ、半分は大阪府、半分は兵庫県に分けられた。日本の中でも異質な地域である。
かつて都は近畿にあり、それが1000年も続いたのだから、その歴史的・文化的蓄積たるや、簡単に崩せるものではない。
いつだったか、大きいプロジェクトで東京から多数のスタッフが乗り込んできて、大阪の現地スタッフと大規模な調整会議が開催された。私はそこに同席していたが、失礼ながらどう見ても東の人と西の人の人相が違う。はっきり言って西の人の方が上品なのだ。
で、東の人が生意気?な発言を繰り返すので、私も心の中で「何やねんこいつら」と思っていたら、ついに西の人たちが爆発。といっても感情的な言い方はしなかったと思う。言い分を言いたいだけ言って、東の人にものを言わせないように丸め込んでしまった。
私は、もし東京から来た人が、知的でルックスも良かったら、こんなことにはならなかっただろうと思った。ごもっともと思えるかどうかで、こちらの態度も変わるはずだ。
たまたまだと思いたいが、その時はそういう構図だった。
そうそう、東京から来ているスタッフで、実際私が直接お世話になった方に、「地べた這いずり回って仕事してますよ」と言ったら、「東京では、実際には地べたを這いずり回っていたとしても、人にそんなことは言いませんよ。いかにかっこ良く仕事しているかを、さらっと言う」と言われた。
呉さんの本を読んでいると、両班優位の韓国社会は、どうも東京風のようである。
本に載せる作者の写真を選ぶ時、日本ではにっこり笑った写真が好まれるが、韓国では笑ったものは選ばれないそうだ。物書きは威厳がないとだめという価値観で、へらへら笑っていると威厳が感じられないからだめなんだそうだ。
確かに、日本人は笑顔を好む。でも、少し前まで、神戸の中国人の商売人は、あまり笑わなかった。というか、愛想が悪かった。今はもうほとんど日本社会にどっぷりなのでそうでもなくなったけど。
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