タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

愛されて、愛されて

2023-04-12 08:02:23 | 日々雑感
    

先日紹介したこの本ですが、まだ読了出来ていません。その理由は書きましたが、それとは別に思っていることです。

本書のテーマとは離れますが、この本を読みながら幼少の頃の想い出に向き合うことになりました。そこで思ったのは、タカ長は多くの人に愛されながら幼少期を過ごしていたと言うことです。

1歳で亡くなった長男の後に授かった男の子ですから、両親から愛されたのは言うまでもないことです。

近くに住む従兄弟とは兄弟のように育ちましたが、その母親、つまり叔母は自分の子のように接してくれました。悪くいえば口やかましい叔母ですが、自分の子どもと分け隔てなく、同じように愛してくれたことはよく分かります。

    

近所の呉服店には同級生の女の子がいて、その子とよく遊んでいました。実際にままごとをした記憶はありませんが、その店の中を走りまわったり、店の中を通り過ぎて裏の畑に行って遊んだ記憶はあります。

そのような私たちを見守ってくれていた、お兄さんの笑顔はハッキリと記憶に残っています。

    

隣のお姉さんにも可愛がられました。広島の女学校に通っていたお姉さんの部屋に遊びに行き、絵本の読み聞かせなど何度もしてもらったような記憶があります。お姉さんの本の中あった奈良光枝の写真を見て、世の中にはこのようにキレイな人がいるのだと、淡い気持ちを持った記憶もあります。

しかし、、、、、、、、どんなに思い出しても、そのお姉さんの顔がまったく思い出せないのです。

昭和20年8月6日、親父はお姉さんの父親とお姉さんを探しに広島市内に出かけました。

焼けている町の中を歩きまわり、、、、、倒れそうになり、草津の神社で休んで帰った、と親父から何度か聞いた記憶はあります。しかし、お姉さんの消息は誰からも聞かされていません。タカ長の推察ですが、隣のお姉さんはあの時、原爆で亡くなられたのだと思います。合掌。

復員してきた隣のお兄さん、近所の悪ガキたちやその親たちなどなど。戦争に負けて何もない時代でしたが、そのような多くの人に愛されてタカ長は成長しました。

最近、子どもをめぐる様々な事故や事件などの報道に接するにつけ、物質的には何も無い時代に育ったタカ長たちのほうが、恵まれた時代に育っている今の子どもたちよりはるかに幸せだったと実感しているのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする