タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

小さな山歩きですが、

2024-08-05 09:03:08 | 山歩きから

    

 

タカ長たちのフィールド、中国自然歩道はこのように歩きやすい道です。山ですから一部には「足元注意」のところもありますが、全体的には歩きやすい道です。

 

    

 

酷暑の時期ですから、今月はこのコースを中心に歩くことにしたことは昨日ふれました。

 

このような道ですから、心の中では色々なことを考えています。その一つがK2で滑落した二人の登山家のことです。タカ長とはまったく異次元の登山家なので共通点などないはずですが、それでもついつい色々考えてしまいます。何度もテレビでお目にかかった登山家なので、それだけ親近感も強いのでしょう。

 

      

 

皆さまも同じと思いますが、家ではあちこちが痛いと言っているタカ長も、山を歩いているときはほとんど痛みを感じていません。また、家ではボケッとしているタカ長ですが、山を歩いているときは、「生きていること」を実感しています。

 

    

 

法頂和尚の「清く香しく」と言う本に以下のような文章を見つけました。

 

しかし幸か不幸か、人間は平凡な日常性だけでは満足しない。自分の命の展開、あるいは創造的な活動を望む。冒険するとか、危険を顧みずに自分らしく生きようとする。それは命の欲求である。ひとつしかない命を危険に晒しながらも、これほど多くの人びとが山に登るのは、山がそこにあるからだろうか。もちろん私たちは山を見て山を登るけれども、それは山が私を呼んでいるからではなく、私の中で山に登りたいという欲求が湧き上がるからだ。そうせざるをえなくする力、それがまさに生きた生命力だ。

 

    

 

ヒマラヤ級の登山家と裏山級の登山者、見た目は月とスッポンに違い以上ますが、命の欲求にしたがって歩いているという点では同じなのかも分かりませんね。

 

そのような欲求にしたがって歩いているときは、足腰の痛みを感じない。それはホルモンだけの働きだけではなく、もっと根源的なものが含まれているのかも分かりません。

 

タカ長たちが行っているような「小さな山歩き」でも深いものを感じることが出来るのですから、山歩きっていいですね。

 

 

 

 

 

 

 

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