一昨日のわが裏山です。チョッと空気感が変った青空が見えていました。
今日は台風が接近中で、雨が降っています。大過なく過ぎてくれることを願うだけ、大自然に対しては人は本当に無力です。
昨夜この本を読んでいて、面白い言葉を見つけましたので紹介します。
現代人は自動車を見てひと目で惚れて結婚した。そして二度と牧歌的な世界に戻れなくなった。
ひょんなことから韓国の法頂禅師を知り、その著作を一篇ずつ読んでいます。
昨日読んだのは「直立歩行」と題する小文です。町に買い物に出かけた法頂禅師が山に帰る直通バスに乗り遅れ、別方向に行くバスで途中まで帰り、そこから40里(12キロメートル)の道を歩いて帰ることになります。
収穫の終わった初冬の田舎道を歩きながら、歩くことの良さを再認識する文章です。
人間が考えはじめたのは、恐らく歩くようになってからではないだろうか。同じ所にとどまって考えると、堂々巡りや妄想に囚われるけれども、歩きながら考えると難問がすらすら解け、問題の核心へと深まることができる。カントやベートーヴェンの例を引くまでもなく、偉大な哲人とか芸術家が好んで散策したのも、歩くことによって創造力が喚起されたからであったろう。
しかし、いつの間にか私たちは歩くことを忘れかけている。あの堂々とした直立歩行、人間だけが享受できるというこの立派な姿勢を、自動車という交通手段によって少しずつ奪われてしまった。それにつれて思考の自由も徐々に奪われはじめた。混雑した車の中では緊張が解けないので、考えをまとめることもできない。顔のない群衆にもみくちゃにされながら漂うしかないのだ。(法頂禅師)
いろいろ考えさせられる小文ですね。
タカ長は山が歩けるあいだは、歩くことには問題ないと思いますが、それが出来なくなったら困ったことになります。町のアスファルト道を延々と歩くことは好きではないので、一日でも長く山道が歩けるように頑張らないといけないようです。
気になる台風ですが、わが町の予報は昨日より少しだけ良くなったようです。と言っても台風の接近、油断できません。
何事もなく過ぎ去ってくれることを願うだけです。