想定したより弱い雨ですが、今日の裏山歩きは休みました。明日はまた独りで歩くつもりです。
昨日の裏山歩きですが、曇り空で山の中が暗かったからか、ひょこッと初めて山を登った日のことが頭に浮かび、青春のころの山を思い出しながら歩いていました。
ブログで話したことがあるかも分かりませんが、タカ長が初めて山に登ったのはこの山、極楽寺山です。社会に出た年の12月でした。
「今度の日曜日に山に行かないか」と職場の上司に誘われ、「何をしに山に行くのですか?」と本気で聞きかえしたことをハッキリと記憶しています。それまでのタカ長には、山は薪などを取りに行くところであって、単に山を歩くだけの世界があることなど知りませんでした。
タカ長の山人生は先輩のそのひと言から始まっています。
その少し前に「マナスルに立つ」と言う、日本人が初めて8000メートル峰に登頂した記録映画が公開され、タカ長も見た記憶があります。それを機に登山ブームが到来、先輩に誘われたのもその流れだったのかも分かりません。
ほどなくタカ長の職場にも山岳部が誕生、山の経験者だったその先輩や、広島高等師範学校(現広島大学教育学部)山岳部OBなど多くの人から山を教わることになりました。
でも、昨日思い出したのは、飯盒炊飯しようと言って山に遊びに行った日のことばかりでした。ここに写っているのは職場の山岳部員で、もちろん彼らと山を歩きましたが、面白く思い出されるのはこのような時間でした。
昼飯の後はタカ長を中心に(?)山の歌の大合唱。昨日は独りで歩きながら、あの頃歌っていた歌を怒鳴りましたが、多くの歌を忘れていました。昨日も人に会わない山歩きでしたから、いくら怒鳴っても問題ナシです。
同じころ伯耆大山で、時には身を危険にさらすような厳しい登山をしていたことがウソのように思われます。それがタカ長の青春だったのですね。
その山岳部がそれなりの活動が出来るようになった頃、学生だった女房殿らを連れて大峰山に行った時の写真です。タカ長は写っていませんが、女房殿は写っています。今でも交流がある仲間もいますが、消息が分からない人もいます。60年も前のことですから、それも仕方ありませんね。
ひょんなことから青春のころの山を思い出すことになりましたが、たまにはそのような裏山歩きもいいでしょう。
あの頃の仲間と「同期会」みたいなことをすると面白そうですが、あの日山に誘ってくれた先輩は鬼籍に入っていますし、消息の分からない人も元気かどうか分からないので、この同期会は実現不可能でしょうね。
山の会に入った頃は土曜日は
テントを持って六甲山へ
一晩テントの中で酒を飲み交わし山の歌を唄ったりし
て夜が明けた頃山歩きもせずに帰ってきました。
このようなことが何度もありましたよ。
タカ長たち広島の山屋には呉娑々宇山(682m)が貴兄たちの「六甲山」のような存在でした。ふもとの水分峡にテントを張って登山。時にはボッカ訓練もしていました。
水分峡にテントを張って、そこから出勤することを本気で考えたこともありますが、結局実現できませんでした。今になって思えば、そのようなバカなこともしてみたかったです。
今日も親戚から訃報、何があってもおかしくない歳になりました。そのような中、元気で生かされているのですから、そのことに感謝しながら毎日を大切に生きましょうね。
お互い頑張りましょう!