午前中のみ仕事あり。昼より時間だけある。二日間歩いていないので一時間ほど歩く。
途中図書館により、中日新聞の連載小説「親鸞」を読む。五木寛之のものだ。我が家の新聞は他社のものだから、図書館で読むことにしている。
このところは、親鸞が比叡で五体投地を一日三千回を続けるところだ。行の果てには、仏を観るという。しかし、彼にはその現れがない、行そのものへの疑問も出てきている。若き親鸞は深く悩む、というところだ。修行の極限まで肉体を追い詰めることは、精神が、興奮し覚醒して、幻覚を覚えるのはよくあることだと思う。その幻覚での観仏では、意味がない。親鸞の疑問のひとつであろう、と、勝手に思っている。さてつづきが楽しみだ。