先週土曜日は、長浜市からの引越しでした。早めにでかけ、長浜市東の石田町東にある観音寺に寄る。ここは秀吉と石田三成の出会いの地といわれる。
秀吉が城持ち大名になったのはこの長浜でした。大いに賑わう町となった。そのころに鷹狩帰りの秀吉が、この観音寺に寄り茶を所望した。その寺にあった三成が献じた。その献じ方がたいへんに気がきいてた。一献はぬるめの茶を多めに、二度目の所望には少し熱めものを茶碗半分に、そして三服目には熱い茶を小さな茶碗にて献じた。喉の渇いてる時には一気に潤おせるように温めのものを大服に、落ち着いた時には熱い茶を少なくと・・・
秀吉はこの気遣いのできる三成を小姓にした。三成は有能でした。歴史上の人物評価はどうしても勝者に記述となり、敵将のものはマイナス記述となる。しかし残ったエピソードなぞは三成の冷静・直截な能力はわかる。彼の出生地のこの村は、いかにも三成びいきが見て取れる。よき殿様だったんでしょう。