定期仕事が一週ほど休みで時間あり。昨日名古屋御坊の定例法話に行く。
「なむあみだぶつ」ってなに?の小学生の問いに絶句して、答えられなかった若い僧の話があった。
大人になら、「南無(なむ)」は、帰命,帰依で、「阿弥陀仏」に帰順いたします・・・と答えるのでしょう。しかし小学生にはそれではわからぬ。彼は自分の先生にそのことを話した。それも自分は檀徒さんとうまくやれぬし、同僚の僧ともうまくやれない・・という愚痴をまじえて。
かれの師は黙って聞いて一言「南無とは、逃げないことだ」と。
師は若者の僧が、あれもうまくいかぬ,同朋とも気まずい・・・と回避する生き方をしてるのを見抜いてのことでしょう。
お念仏は、困った時に神頼みするわけでも、幸福をいただくためにでもない。また諦めたり、自分をごまかして回避もせず、結論を握ってしまっておしまいにしてしまうことでもない・・・ということでしょうか。自分はまちがっていた、迷っておりました・・・という深いうなずきでもあります。
そういう自分に気づいたときに、仏のはたらきのなかにあることが浮かび上がってくる・・・というような内容でした。