「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

京都、東寺(京都2012.4)

2012-04-29 14:00:32 | 見仏(京都)
京都に来れば、定番のように東寺に足を運んでいる。

この日のラストの東寺までの経路:
滋賀の宿泊先→JR京都駅→バス1日乗車券500円購入→
バスで乗り継ぎ、三条京阪下車、檀王法林寺→
12番バス、20x番バスと乗り継ぎ東山安井下車、霊山寺→
東山安井から207番バス→東福寺バス停下車、法性寺→
207番バスで途中下車で昼食→207番バスで東寺東門前、東寺。


まずは、東寺講堂の立体曼荼羅。
多聞天はあいかわらず怖くて、迫力がある。四隅の右端奥に
配置されていて、光が届きにくい。光があたった状態で
双眼鏡で見てみたいものだ。

菩薩グループの中では、金剛波羅密多の体の金がよく
残っている。歴史が浅いというのもあるのか、
国宝・重文が多い中、そういう肩書きはついていなかった。

中央にはお目目パッチリの大日如来。いい味を出している。

天平時代の増長、持国は、目の部分は、目の形を
木を丸くして、威圧感をだしている。


続いて、東寺金堂へ。
左の月光より、右の日光のほうが、より微笑み度合いが多い。
ほっぺたの金のはげ具合がそんな風に見えるのだろうか。
日光月光の大きさは、推定3M。

中央にはやっこを持たない薬師如来坐像。無表情に、遠くを
眺めているように見える。

大学生くらいの男子のグループの1人が言っていた。
夕暮れ時のほうが雰囲気があってよい。
そのとおりかもしれない。

東寺に限らず、見仏家にとって、
拝観時間帯が短いのは少し残念。
朝もっと早くするとか、夕方以降も伸ばすか。
それから、仏像とお泊り会なんていうのが
あったらうれしいのだけど・・・。

東寺の中を少し散策した後、滋賀へ向かい、
三井寺へでもと思って移動していたが、
拝観受付16時、16時半とかの時間には
間に合わないとあきらめた。
宿泊先の南彦根へとJR琵琶湖線で向かった。

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京都、法性寺(京都2012.4)

2012-04-29 11:00:41 | 見仏(京都)
国宝の秘仏がいる。
ここも特別公開ということであったが、
びっくりしたのは、行列を作って人が並んでいたこと。
結局、40分ほどは待ったかもしれない。

なぜ、並ばなければならなかったか。
小さいお寺であったこと、秘仏公開で人気があったこと、
それから、学生のボランティアの説明を聞くシステムであった
ためである。ここまで並ぶと、能書きは別にいいのにと
思うのであるが、一部屋に50人ほどまとめた状態で、
仏像に関する話を聞くので、待ちが長くなる。

で、国宝の黒っぽい色合いの千手観音であるが、
大きさは1mもないくらいだろうか。
その小ささにちょっとがっかり。国宝の基準は
なんなのと少し疑う。
ただ、小さいのに千手というところが、
より複雑な技法がいるんだろうなということは
想像はできる。
さらに残念だったのは、双眼鏡を持っていないと
黒っぽい体、顔はよく見えなかったこと。

むしろ、坐像で2mくらいはある不動明王の
レプリカのほうが気になる存在だった。
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京都、霊山(りょうぜん)大観音 (京都2012.4)

2012-04-29 10:40:50 | 見仏(京都)
京都には、歴史があり、由緒があるお寺・仏像が
たくさんいる。
それに反して、観光本に載らないような隠れた仏像もいる。
ここ霊山観音は、たぶん歴史はないのだろうけど、
大きな大観音坐像がいる。コンクリートの肌をした、
推定20mくらいはあると思われる仏像だ。
大仏好きには、穴場的な存在。

入場料200円と安いし、その受付で、
直径1cmほどはある大きな線香に火をつけて
わたしてもらう・・・という小さな心配りもある。

大観音の下にある部屋には、
割とりっぱな、各えとにちなんだ仏像なども
並べられている。
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京都、檀王法林寺(京都2012.4)

2012-04-29 09:50:33 | 見仏(京都)

通常は、本堂は公開されていないが、特別公開されていた。

このお寺の歴史:
 あるお寺がなくなり、さら地の状態から、
袋中という浄土宗の僧侶が檀王法林寺を開いた。
袋中上人は、ここへ来る前、琉球で数年生活しており
琉球王とも親交があった。
 琉球はやがて、薩摩の侵攻を受け、江戸幕府に組み込まれる
ようになった。琉球王は、江戸のぼり(参勤交代)を
しなければならないようになった。


この江戸のぼりの途中で、琉球王は京都のこのお寺に
立ち寄り、袋中上人と再会。このときに、琉球王から
送られた品々が、堂内に飾られていた。(大きなものでは
たんす、クバの葉で作ったせんす、器、そして袋中上人を
描いた掛け軸など)

袋中上人は、琉球をなつかしんでいたのか、
拝殿の柱には、いろんな動物が描かれている中、
沖縄でよく見る雰囲気のシーサーが木彫りで彫られている。
堂内でなく、お堂の屋根もシーサーのようなものが
屋根瓦の上にもある。
袋中上人が、今日の沖縄のエイサーのきっかけを
作った人物といわれている。
で、昨日は、沖縄のエイサー(へしきやエイサー)が
このお寺で、奉納のエイサーをしたという。
今日は、エイサーはなく、残念な思いをした。
(昨日来ておけばよかったのに・・・)
へしきやエイサーといっても、沖縄からきたのではなく、
大阪在住の沖縄県人の人のエイサーだったようだ。

法林寺の二代目の住職は、「だんのう」さんと言われ
人々に親しまれたという。

仏像としては、特筆する仏はない。
袋中上人像、二代目の僧侶の像などが展示。

学生のボランティアが、上で書いたようなことを
説明してくれた。
ただ、エイサーの部分の説明はちょっと違うと
思っていたが、つっこみは入れなかった。


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