大阪府島本町山崎で児童養護施設などを運営する社会福祉法人「大阪水上隣保館」が、創立80周年記念誌を発行した。大阪の港湾のはしけで水上生活を余儀なくされた子どもの生活、教育支援を始めた昭和初期の出発点や戦災による移転など、多くの苦難を経て発展してきた歴史を紹介している。
記念誌の冒頭には、1931年に創立者の中村遙・八重子夫妻が大阪市港区に、はしけで生活していた子ども向けの居住施設「水上子どもの家」を設立したと記されている。45年の大阪大空襲で全焼し、52年に天王山麓を開拓して現在地に移転した歴史のほか、乳児院や幼稚園、保育専門学校の整備が進む様子を載せた。
記念誌の発行は20年ぶりとなる。このため、特別養護老人ホームの建設や、情緒に障害のある子どもを対象にした短期治療施設の開設、子育て支援事業の開始など、近年の取り組みにも触れた。
関係者の回想録も盛り込まれた。水上隣保館創立期の卒園生は「お腹いっぱいご飯を食べさせてもらった。晩にも職員が付いて勉強を見てくれた」と振り返った。1950年代に勤めた元職員は「水道はなく、子どもは山の水を飲み、アケビやムカゴを取って空腹を満たしていた」と当時の様子を記した。
B5判、132ページ。大阪水上隣保館の村瀬愛事務局長(61)は「困っている人に手を差しのべる創設者の理念や苦難の歩み、現在までの取り組みを、多くの人に知ってもらいたい」と話す。非売品だが、同館や島本町立図書館で読める。
記念誌の冒頭には、1931年に創立者の中村遙・八重子夫妻が大阪市港区に、はしけで生活していた子ども向けの居住施設「水上子どもの家」を設立したと記されている。45年の大阪大空襲で全焼し、52年に天王山麓を開拓して現在地に移転した歴史のほか、乳児院や幼稚園、保育専門学校の整備が進む様子を載せた。
記念誌の発行は20年ぶりとなる。このため、特別養護老人ホームの建設や、情緒に障害のある子どもを対象にした短期治療施設の開設、子育て支援事業の開始など、近年の取り組みにも触れた。
関係者の回想録も盛り込まれた。水上隣保館創立期の卒園生は「お腹いっぱいご飯を食べさせてもらった。晩にも職員が付いて勉強を見てくれた」と振り返った。1950年代に勤めた元職員は「水道はなく、子どもは山の水を飲み、アケビやムカゴを取って空腹を満たしていた」と当時の様子を記した。
B5判、132ページ。大阪水上隣保館の村瀬愛事務局長(61)は「困っている人に手を差しのべる創設者の理念や苦難の歩み、現在までの取り組みを、多くの人に知ってもらいたい」と話す。非売品だが、同館や島本町立図書館で読める。