回答を見合わせた乙訓環境衛生組合 そもそも国は搬入方法や量を示さない

2011-06-11 10:37:47 | 政 governing
被災地の災害廃棄物、京都府内の7市町「処理に協力」

押し寄せた津波でがれきの集積地と化した海沿いの住宅地=4月24日、福島県いわき市、下地毅撮影

 東日本大震災から11日で3カ月。被災地には、なお大量の災害廃棄物が残る。国が処理の協力を呼びかけ、京都府内では京都市や舞鶴市など5市2町が受け入れに前向きな姿勢を示す。市民の間には、復興支援への理解と放射性物質への不安が入り交じる。

 環境省の推計では、震災で出た建材や家具、家電製品などの災害廃棄物は岩手、宮城、福島3県で約2500万トン。阪神大震災の時の約1.7倍に及ぶ。国は2013年度末までに最終処分する方針で、全国の自治体に協力を要請。これまでに約520の市町村・広域組合が受け入れを前提に回答したという。

 京都府内では京都市、舞鶴市、福知山市、亀岡市、伊根町、船井郡衛生管理組合(南丹市、京丹波町)が表明。同組合は「ダイオキシン問題で焼却施設が使えなくなった時、周辺自治体に支援してもらった。今度は協力する立場」と言う。

 「行政は情報をきちんと開示してほしい」。京都市の焼却施設「東北部クリーンセンター」(左京区)の2キロ南に住む男性(70)は不安を募らせる。「復興支援には協力していくべきだ。ただ、放射性物質が広範囲に飛散する中で、廃棄物の焼却によって健康に影響が出ないか心配だ」

 京都市は環境省に対し、1日あたり生ごみ185トン、家具類15トン、年間では最大5万トンの受け入れが可能と答えた。市環境政策局の担当者は「大規模な処理施設をもつ政令指定市が協力しなければ、処理は追いつかない」と話す。

 ただ、地元以外の廃棄物を受け入れるには、処理施設周辺の住民の合意が必要だ。市には今月9日までに市民から約490件の意見が寄せられ、大半が放射性物質への懸念の声という。市はホームページに「放射性物質に汚染されている恐れのある災害廃棄物は当面の間、移動、処分を行わない」とする国の方針を示し、対応に追われている。

 一方、国への回答を見合わせた乙訓環境衛生組合(向日市、長岡京市、大山崎町)。「そもそも国は搬入方法や量を示さない。住民の理解を得ようにも説明の材料がない」と戸惑う。

 亀岡市には先月、環境問題などに取り組む市民団体「亀岡夢咲くネット」のメンバーが訪れ、放射性物質に汚染された廃棄物は受け入れないよう要望。応対した湯浅敬三副市長は「廃棄物の受け入れを決めたわけではない。放射性物質の扱いは国が判断するだろう」と述べるにとどまった。

 団体代表の村山起久子さん(51)は「がれきに含まれる放射性物質は微量でも、大量に燃やせばちりとなって大気に広がる。復興支援では、支援する側の安全確保も欠かせない」と話している。(堀田浩一)

なぜ15%の削減としたのか根拠を示してほしい

2011-06-11 10:32:15 | 災 disaster
知事「関電15%根拠を」

関西電力が15%の節電を要請する方針を決めたことについて、京都府の山田知事は記者会見で、節電への協力に理解を示した上で、「なぜ15%の削減としたのか根拠を示してほしい」と述べ、関西電力に詳しい説明を求める考えを明らかにしました。
このなかで山田知事は「関西電力から節電要請の動きがでたことは当然であり、我々も何らかの形で節電をしていかなければならない」と述べ理解を示しました。
そのうえで、山田知事は「関西電力が夏の電力供給に向けてこれだけの努力をしてそれでも足りないという詳細のデータを示すべきだ。東京電力の計画停電のような混乱を避けるためにもしっかりとした根拠を示してほしい」と述べ来週、経済界と合同で会議を開きその場で関西電力から詳しい説明を求めることを明らかにしました。
いっぽう福井県にあり、定期検査のため運転を停止している関西電力の原発の運転再開について山田知事は「福島の事故を踏まえ万全の安全対策がとられない限り運転再開を認めないという福井県の西川知事の考えは私自身も理解しており、今回の節電要請を受けてもこの考えは変わりない」と述べ、節電の要請と原発の運転再開の問題は切り離して考えるべきだと強調しました。

06月10日 20時44分 NHK

行ってみよっと:アサヒビール吹田工場と旧吹田村 歴史、文化の香りもプーン /大阪

2011-06-10 13:00:37 | 水 water
◇恵まれた水運に人と物資が往来

 国内で2番目にできたビール工場、アサヒビール吹田工場の見学に行く。JR吹田駅前にどーんと構える。甲子園4個分という敷地(約16万平方メートル)の周りをたどりながら、正門まで約1キロ。

 この道がいい。ツツジ、ツゲ、ヒノキ、シラカシ……緑のオンパレード。それぞれの木が名札をぶらさげ、「よろしく」と言っているよう。木々と仲良くなりながら、まもなくプーンと甘くて香ばしい匂いがしてきた。工場で活動中の小麦たちの匂いらしい。

 同工場は1891(明治24)年にアサヒビールの第1号の工場として誕生した。ちなみに国内第1号は、キリンビールの横浜の醸造所。

 なぜ吹田だった? 工場見学の案内担当、影浦ちひろさんの説明が始まる。まず、神崎川を利用した水運とすぐ脇を走る国鉄により運搬に好都合だったこと。また、近くで湧き水が出た。その水をビールの本場ドイツに送ると「適している」とお墨付きをもらえた--これが立地の背景。ちなみに湧き水は、今は枯れて、近所の泉殿宮(いづどのぐう)に跡がある。

 見学コースから、ガラス越しに工場内を見下ろせる。ややこしく張り巡らされたベルトコンベヤー。その道を瓶ビールが滑る!カーブもこけずにうまく滑走。クライマックスは缶に、ビールが注入されるシーン。速過ぎて目で追えない。このラインだけで1分間に350ミリリットル缶が1500本も誕生しているとか。そんなに急がないといけないとは、日本人ってホントにビール好き。

 見学に訪れる人は、なんと年間12万人。家族連れからデートコース、修学旅行など名目はさまざま。確かに、ナマの現場は面白い。無料というのも大いなる魅力。

 JR吹田駅の南側、旧吹田村も歩く。ここからは吹田まち案内人の瓢風(ひさかぜ)正男さん(68)に案内していただく。商店街が何本もつながる繁華街。「500店舗ぐらいあります」。シャッターがおりたままの店もあるけれど、このご時世仕方ない。

 かつては亀岡街道や吹田街道が通り、さらに神崎川の水運で、江戸時代から栄えた。古い家や蔵がちらほら残り、建築ウオッチも楽しい。

 江戸時代の庄屋を整備した「浜屋敷」に立ち寄る。高さ5メートル以上あるソテツが出迎えてくれる。観光案内所も兼ねていて、一息つくのにありがたい。敷地に、だんじりの展示庫がある。「鍵を開けてもらいましょう」。これ、取材への特別扱いではない。声をかければ、気軽に開けてくれる、懐が深い施設なのだ。だんじりを間近に見た。実に細かな彫刻が施され、見事な伝統芸術だ。「この図柄には物語があるんですよ。私はよう語れんのですが」(瓢風さん)。嘉永7(1854)年製の川面町地車(かわづらちょうだんじり)。ご老体なのに、今も毎年、吹田まつりで活躍するバリバリの“現役”だ。

 すぐ近くの安威川に出ると、「吹田の渡(わたし)」跡がある。江戸時代、大阪と丹波を結ぶ亀岡街道の渡しで、いわば吹田の玄関口。人と物資が往来し、にぎわったのだろう。川が、この町に果たした役割は大きい。今、目の前の川辺には、ウオーキングする人が1人いるだけだけど。【三角真理】

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 アサヒビール吹田工場=06・6388・1943。見学は要予約▽浜屋敷=見学は無料。土日は喫茶もある。06・4860・9731▽吹田まち案内人=案内人1人につき10人まで(1000円)。連絡は浜屋敷(06・4860・9731)。

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アサヒビール(株)

吹田市会に「維新」会派 "本家"とは無関係

2011-06-10 12:52:40 | 政 governing
大阪府吹田市の自民党などの市議5人が9日、市議会の新会派「維新倶楽部」を結成し、議会事務局に届け出た。橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」の公認で当選した井上哲也市長の与党会派として活動するが、大阪維新の会とは無関係という。

 維新倶楽部を結成したのは市議会で自民党に所属していた全市議3人のほか、「吹田・維新の会」所属の1人と無所属の1人。市議会の定数は36人で、維新倶楽部は第4会派となる。

 井上市長は当選後の議会で自身の給与削減条例案などを提案したが、市議会は継続審査としている。井上市長は「市民のため、市政改革に賛成していただけるなら大歓迎」とコメントしている。

(2011年6月10日 08:13)
よくわかる大前研一―世界市民ケンの平成維新ワークス
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クラブハウス

「騎士」気分、フェンシング体験授業 大山崎の2小で

2011-06-10 12:47:03 | 会 party
マスクやグローブを身に付けて剣を突き合う子どもたち(大山崎町円明寺・第二大山崎小)京都府大山崎町内の2小学校で9日、フェンシングの体験授業があった。マスクやジャケットを身に付けて試合形式で剣を交わし、騎士の気分を楽しんだ。

 同町は1988年の京都国体でフェンシング競技の会場となった。授業は「ご当地スポーツ」の裾野を広げようと、全国少年フェンシング大会大山崎町実行委が毎年催している。

 大山崎小と第二大山崎小の3年生計129人はそれぞれの学校の体育館でまず大人の模範試合を見学し、速い応酬に歓声を上げた。続いて基本的なルールを習い、マスクやグローブを付けて実際に体験。同時に突き合う場面が多かったが、慣れると相手の剣をうまく避けプレーする子もいた。

 試合後の礼の仕方や普段の剣の扱い方など「騎士道」の一端も学んだ。約1時間、汗を流した子どもたちは「突くのが楽しかった」と喜んでいた。

【 2011年06月10日 11時25分 】

太田雄貴「騎士道」―北京五輪フェンシング銀メダリスト
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小学館

向日明神篝狂言を披露 故千之丞さんと住民が発案

2011-06-10 12:39:59 | 祭 carnival
千之丞さんの活動を受け継ぎ、創作狂言「火入れ冠者」を石舞台で演じる茂山あきらさん(左)と童司さん(向日市・向日神社)昨年亡くなった大蔵流狂言師、茂山千之丞さんと京都府向日市の住民団体が発案した「向日明神篝(かがり)狂言」が今年も同市の向日神社で行われた。「狂言は庶民のもの」との千之丞さんの考えに基づく、かがり火の中で振る舞い酒を楽しむ自由な舞台も6年目。京都市の茂山狂言会の次世代が活動を継承し、住民も「遺志を継ぎ、地域に狂言を根付かせよう」と決意を新たにしている。

 演者と観客でつくる昔ながらの狂言を復活させようと、神社の本殿裏の森に石舞台を築き、竹製の杯で飲む「かっぽ酒」を振る舞う趣向で、地元の実行委が2006年から開催。企画段階から千之丞さんが協力、地域の話題を盛り込んだ狂言「火入れ冠者」を創作し、演じてきた。

 今年は5日夜にあり、千之丞さんの長男あきらさんと孫の童司さんが「火入れ冠者」を2人で初めて演じ、客席から登場する新たな演出やアドリブを交え、笑いを誘った。茂山正邦さん、茂山茂さん、増田浩紀さんも「磁石」を披露。ワークショップでは千之丞さんの弟子の丸石やすしさんが「残していかなければならないものではなく、自然に残るような狂言をしたいと常々言っていた」と語り、350人の観客と故人をしのんだ。

 室町時代に鎮守の森などで演じられた庶民が主役の狂言を復活させるには10年かかると話していた千之丞さん。あきらさんは「遺志を継ぎ、少しずつ自分たちのかたちにしていければ」と話す、昨秋から始まった童司さんの市民狂言教室も定着し、向日神社の宮司で、実行委の六人部是継会長は「千之丞さんの恩に報いるためにも、狂言を地域の文化遺産に育て、全国に発信したい」と話す。

【 2011年06月10日 11時29分 】

狂言じゃ、狂言じゃ! (文春文庫)
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文藝春秋

東日本大震災:茨木拠点の合唱団・紗羅、支援拡大へチャリティー /大阪

2011-06-09 12:12:46 | 民 people
◇秋開催へ団員も募集

 茨木市を拠点に活動する合唱団「紗羅(さら)」が、東日本大震災の被災地を支援しようと、近畿一円での合唱やミュージカルのチャリティーコンサートを企画している。今秋の開催を目指し、会場の手配や練習に団員たちは余念がない。

 紗羅は現在、声楽家ら12人の団員が所属し、非営利で活動。85年の結団以来、行った大小のチャリティーコンサートは100回を超えるという。95年の阪神大震災発生後にもコンサートを通じて1000万円以上を集め、震災孤児支援などにあてた。

 3月11日の震災発生後は、団員が私費を持ち寄り、医療機関を通じて医薬品を送るなどの支援活動をしている。コンサートで支援活動を拡大したい考えで、常任指揮者の本多令子さんは「障害者や震災孤児など、公的な支援が届きにくい人を探して支援したい」と意欲的だ。

 コンサートの増加に伴い、紗羅は団員を募集している。音楽の専門教育を受けている50歳までの女性で、毎週金曜に茨木市内で行う練習に参加できることが条件。問い合わせ、応募は本多さん(072・625・8868、午後8時以降)。【高橋隆輔】

ベスト合唱100
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EMIミュージック・ジャパン

風船200個に希望託し 長岡京で国民文化祭150日前イベント

2011-06-09 12:06:48 | 祭 carnival
今秋、催される国民文化祭・京都2011の150日前を記念し、「筍(たけのこ)の里から届け! 希望のメッセージ」と題したイベントがこのほど、京都府長岡京市長法寺の長法寺小で行われた。児童らが、東日本大震災の被災地復興への願いや将来への希望などを込めて、約200個の風船を大空に飛ばした。

 10~11月に府内各地で行われる国民文化祭で、長岡京市では府長岡京記念文化会館を拠点に「オーケストラの祭典」と「クラシックバレエの饗宴(きょうえん)」の開催を予定。市実行委員会が国民文化祭のPRの一環で150日前イベントを企画した。

 同小の児童200人が、「希望のメッセージ」と銘打ち、「東北の人が一日でも早く元気になれますように」といった震災被災地へのエールや、「サッカー選手になりたい」といった将来の夢をカードにしたため、ヘリウムガスを詰めた風船に取り付けた。

 国民文化祭PR隊長のまゆまろも駆け付ける中、トランペットのファンファーレに合わせ、児童たちが願いを込めて風船を大空に飛ばし、その行方を見つめた。

【 2011年06月09日 09時11分 】

無地ゴム風船RBT6
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prolloon

隠れキリシタンの宗教画公開 大阪・茨木の史料館

2011-06-09 11:57:35 | 歴 history
特別公開されたマリア十五玄義図(左)=茨木市千提寺隠れキリシタンの里として知られる大阪府茨木市北部の民家で見つかった江戸時代の宗教画「マリア十五玄義図」(府有形文化財)が、同市千提寺の市立キリシタン遺物史料館で特別公開されている。市が初の修復を施し、鮮やかな色彩がよみがえった。

 マリア十五玄義図は縦82.7センチ、横65.4センチ。17世紀に長崎のセミナリオ(神学校)で描かれたとみられ、聖母マリアとキリストの生涯の15の出来事が描かれている。同市千提寺の民家で1920年、屋根の棟木にくくりつけられた木箱の中から見つかった。

 同史料館で2005年まで展示していたが、06年に府が有形文化財に指定。劣化を防ぐために、表面の汚れを落として絵の具のはがれ止めを施し、しわを伸ばして裏打ち補強するなどの修復を昨年10月から今年3月にかけて実施した。

 茨木市北部はキリシタン大名の高山右近が治めたこともあってキリシタンの一大中心地だった。徳川幕府が禁教令を出してからも、信者たちは隠れて信仰を続けたとみられる。

 マリア十五玄義図を所有する東満理亜さん(61)によると、江戸末期には10軒くらいの家で輪番を作り毎週日曜に集まって拝んでおり、十五玄義図はその時使われていたと推測されるという。東さんは「修復でぼんやりしていた赤色が鮮やかになった。キリスト教の歴史と、先祖が苦労してこの絵を残したということを知ってもらいたい」と話している。

 13日まで。入場無料。問い合わせは同史料館(072・649・3443)へ。(石田貴子)
江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた (講談社プラスアルファ新書)
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講談社

連歌に響く若い感性 西乙訓高で講座

2011-06-09 11:32:57 | 歴 history
京都府長岡京市下海印寺の西乙訓高の2年生が、「連歌」の歴史や創作方法を学び、今秋の国民文化祭への作品応募を目指している。

光田准教授から連歌を手ほどきを受ける生徒たち(長岡京市・西乙訓高) 連歌は、最初の一人が五・七・五の上の句を、次の人が七・七の下の句を作り、集まった人たちが繰り返し詠み継いで創作を楽しむ、中世に盛行した伝統文芸。同高が、国語の授業の一環で入門編の連続講座を企画し、国際日本文化研究センター(京都市西京区)の光田和伸准教授が指導に当たった。

 光田准教授は、古事記などの短連歌に始まる連歌の歴史や、歌の素材となる「部立(ぶだて)」、その使用数などを定めた「句数(くかず)」など連歌を詠むための基本ルールをわかりやすく解説した。

 「父似の人が街頭を行く」という下の句のお題に対して、上の句を考える付け句のワークショップでは、生徒たちは「真夜中に見知らぬ女と手を繋(つな)ぎ」「いつもより大きく見えたその背中」などと、若者らしい感性で作品を詠んだ。光田准教授は「想像力で物語を膨らませて。限られた字数でどう表現して伝えるかが技術」とアドバイスした。

 自作が高評価だった余田とみさん(16)は「難しいけれど、自分の言葉で表現するのが面白い」と話した。同高では、「座」による連歌の実作も目指すほか、11月に京都市の北野天満宮や東寺などで開かれる国民文化祭の「連歌の祭典」への作品応募や参加を検討している。

【 2011年06月09日 09時16分 】

連歌とは何か (講談社選書メチエ)
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なにわ人模様:在宅ホスピスに取り組む医師・松永美佳子さん

2011-06-08 12:08:46 | 民 people
◇末期がん、痛みの緩和ケア 「よりよい医療提供」と手応え--松永美佳子さん(46)=吹田市

 「末期がん患者が痛みを訴えているのに取り合う医師がいない。いわば『無医村』だった」。勤務医時代に見た現実に突き動かされ、千里ペインクリニック(豊中市)を開院して7年。末期がんの痛みを和らげる緩和ケアを施して在宅療養を支援し、これまでに750人をみとった。

 医師になった当初は大病院に勤務。延命措置のため、いくつものチューブがつながれている高齢の患者を目にするたび、「これが人間らしい姿なのか」と疑問を感じていた。余命幾ばくもなく、自宅での療養を望みながら、がんの痛みに苦しんで移行できない患者も多い。延命中心の措置をやり尽くす医療に見切りをつけた。

 この7年間で、ある40代の男性を担当した時のことが忘れられない。懸命に対処したが、最後まで痛みを取りきれなかった。「医師としては屈辱だったが、寄り添う意識だけは強く持っていた」と振り返る。

 家族は最期も明るい表情で男性を囲み、順番にうちわであおぎながら、時に笑いさえ起きた。死亡後、家族に感謝されたという。「患者や家族は懸命にやったことを喜んでくれた。医療を提供する上で大事なことを教えられたが、大病院の医療はそれを忘れていないだろうか」

 かつてはバスケットボールに打ち込み、実業団でのプレーを目指していた。しかし、高校2年の時にひざのじん帯を断裂して続けるのをあきらめ、学校も休みがちに。受験が近づくと一転して「同じようにけがで苦しんでいる人の力になりたい」と医学部を志望し、2浪の末、大阪大医学部に合格した。

 スタッフは「医者らしくない先生」と口をそろえ、「病院では看護師の意見を受け入れる医者は少ないが、事務員に至るまで全ての職員に意見を求める」と村岡幸代看護師長。「考えを理解してくれるスタッフがそろい、世の中に少しでもいい医療が提供できるようになったと思う」と、手応えを感じている。

 がんが死因トップの時代に、希望する生き方と最期のため、「やっていることが時流に合っているという自負がある」。クリニックを維持していく経営面の大切さも自覚し、「継続こそ力。続けていかなければという責任感はより強くなった」と力を込める。【高橋隆輔】

病院で死なないという選択 ―在宅・ホスピスを選んだ家族たち (集英社新書)
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集英社

被災地の空へ 届け! 長岡京・児童ら風船にメッセージ

2011-06-08 11:51:34 | 民 people
風船飛ばし10月29日から府内で開催される第26回国民文化祭を盛りあげようと、長岡京市立長法寺小学校の児童たちが7日、メッセージ付きの風船200個を飛ばした。東日本大震災の被災地に向けた応援メッセージも添えた。

 国文祭長岡京市実行委員会が企画。同小の4~6年生と特別支援学級の児童約200人が参加し、国文祭をPRするカードの裏面に、震災復興への思いを書いた。風船は、落ちると土に分解され堆肥(たいひ)になる素材という。4年生の佐藤裕太君(9)は「ぼくたちの思いが届くといいなあ」と話した。

風船ヘリウム
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萬遊社

竜と松、彩る空き店舗シャッター 京のアート作家描く

2011-06-08 11:27:46 | 民 people
京都府向日市寺戸町の旧家・富永屋の建物の一角で、現在は空き店舗のシャッターに絵が新たに描かれ、近隣の商店や買い物客、通学で前を通る児童生徒らの目を引いている。

 デザインを手掛けたのは京都市北区のアート作家、水口菜津子さん(30)。同市立芸術大で学生や院生の時代に、西京区の大枝・大原野地区の魅力をアートを通じ発信する企画に携わるなど、精力的に活動している。

 富永屋の保存活用を目指す「富永屋の会・グループとみじん」が、長期間放置され、さびたシャッターを塗り替えることに。「絵を描いたら、より明るい雰囲気になるのでは」と水口さんに依頼した。作業にはメンバーも加わっている。

 絵は、2匹の竜と、2本の松の木を配したデザイン。昭和初期に撮影され今も残る富永屋の写真に、枝が波打つように広がる松の木が写っており、「それを見てイメージした」と水口さん。5月の連休から描き始め、現在、仕上げの段階に。

 作業中、買い物客が足を止めて眺めたり、児童からよく声が掛かるという。水口さんは「竜に名前を付ける、と子どもたちは言ってくれる」と喜ぶ。また近隣の商店から「うちの店のシャッターにも描いてほしい」と依頼されたと、とみじんのメンバーも思わぬ効果に驚き「富永屋の保存や、商店街の活性化につながれば」と話す。

 26日の完成披露式で竜に目を入れて最終の完成。式後は水口さんの講演会や、昭和初期の西国街道の町並みの映写なども予定。午後2時から。式を除き、有料。問い合わせは、とみじんの寺崎さんTEL075(931)4272。

【 2011年06月08日 11時03分 】

シャッター通り再生計画―明日からはじめる活性化の極意
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ミネルヴァ書房

組み体操で被災地復興にエール 大山崎の2小学校

2011-06-08 11:22:52 | 民 people
全員でピラミッドを組み、協力の大切さをアピールする6年生(大山崎町円明寺・大山崎小)東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災地の復興を願う気持ちを表現しようと、京都府大山崎町内の2小学校の児童が、このほど開かれた運動会で組み体操を披露した。多彩な曲に合わせて隊形を変え、友情や協力の大切さなどもアピールした。

 2校では今夏に体育館の耐震改修工事が始まり、運動場が一部使えなくなる。このため運動会を例年の9月から6月に前倒しした。

 大山崎小では6年生81人が祈りをテーマに演じた。購入費の一部が被災地支援に充てられるそろいのシャツを着て臨んだ。全員が地面に伏せた後、大輪の輪を作り、崩壊から再生に至る過程を表現した。

 最後は7段のピラミッドを組み、協力の大切さを体現。春休みの宿題で腕立て伏せや腹筋をこなして鍛えた筋力で演じ切った。

 第二大山崎小では、5、6年生計96人が「和~がんばろう日本」と題して演じた。三味線や和太鼓の音色に合わせ、扇を手にした舞踊も交えながら、計6隊形に挑戦した。

 全員で3重の輪を作り、腕を大きく上下して情熱をアピールした。締めくくりでは3~13人1組で最高4段の塔を組み、未来や創造への期待を表した。

 好天の下、両校の児童は汗を流して熱演し、保護者や住民は大きな拍手を送っていた。

【 2011年06月08日 11時07分 】

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小学館

小児がん施設:「当たり前の日常」闘病中も NPOが建設予定図を披露 /大阪

2011-06-07 12:00:50 | 民 people
◇明るい室内、親や兄弟も過ごせる空間 継続的な協力訴え

 神戸市のポートアイランドで小児がん治療専門施設の着工準備を進めるNPO法人チャイルド・ケモ・ハウス(事務局・茨木市)が5日、ポートアイランド内の臨床研究情報センター(神戸市中央区港島南町1)でキックオフシンポジウムを開き、約200人が参加。今秋着工、13年春開業のスケジュールを報告し、建設予定図も披露された。

 大阪府内も含めて候補地を探してきたが、近くに高度な医療施設が充実し、予定地の貸与協力も得られた現地で最終的に決まった。

 シンポジウムでは、「おうちに帰りたい」という闘病中の子どもたちの声を原点に始まった約5年間の活動を説明。建築家の手塚貴晴さんが建設予定図を披露した。どの部屋からも外を眺められる明るい病室、親や兄弟も過ごせる空間、医師らが子どもの様子を確認しやすい病室配置など、それぞれの立場に配慮。「家族が近くにいるという当たり前の日常を、闘病する子どもたちにつくってあげたい」と語った。

 また、パネルディスカッションもあり、河敬世(けいせい)・大阪府赤十字血液センター所長は「こうした施設は、先端医療が提供できる地域に一つずつ欲しい。最初となる神戸でうまく運営できるよう、支援が欠かせない」と継続的な協力を訴えた。【青木絵美】

命のダイアリー 小児がんを乗り越えた少年・少女たち
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