大山崎・松田遺跡で建物跡
平安京への遷都前に都が置かれた長岡京(784~794)のすぐ南にある松田遺跡(大山崎町円明寺)で、一部瓦ぶきとみられる掘っ立て柱の建物跡が見つかった。府埋蔵文化財調査研究センターが13日、発表した。現在の都道府県庁にあたる「山城国府」だった可能性もあるという。
松田遺跡は、長岡京の南端にあったと推測される九条大路の南約50メートルに位置する。調査では東西6・3メートル、南北5・4メートル以上の建物跡(8世紀末~9世紀前半)が見つかった。柱の穴の大きさから柱の直径は40センチ程度だったとみられ、瓦片のほか、料理を盛った大きな高坏(たかつき)の破片も約20個分出土した。同センターは「太い柱や瓦、大きな高坏から一般の建物とは考えられない」と説明する。
平安時代に編纂(へんさん)された歴史書「日本紀略」の797年の記述に「山城国府を長岡京の南に移した。葛野(かどの)郡(現・右京区)の土地が狭くなったため」という趣旨の記述がある。淀川にあった山崎の津(港)と平安京を結ぶ直線道路「久我畷(こがなわて)」沿いの便のいい位置にあることから、同センターは山城国府そのものか、山崎の津に関連する役所だった可能性もあるとみている。
現地説明会は17日午前10時半から。小雨決行。問い合わせは、同センター(075・933・3877)へ。
平安京への遷都前に都が置かれた長岡京(784~794)のすぐ南にある松田遺跡(大山崎町円明寺)で、一部瓦ぶきとみられる掘っ立て柱の建物跡が見つかった。府埋蔵文化財調査研究センターが13日、発表した。現在の都道府県庁にあたる「山城国府」だった可能性もあるという。
松田遺跡は、長岡京の南端にあったと推測される九条大路の南約50メートルに位置する。調査では東西6・3メートル、南北5・4メートル以上の建物跡(8世紀末~9世紀前半)が見つかった。柱の穴の大きさから柱の直径は40センチ程度だったとみられ、瓦片のほか、料理を盛った大きな高坏(たかつき)の破片も約20個分出土した。同センターは「太い柱や瓦、大きな高坏から一般の建物とは考えられない」と説明する。
平安時代に編纂(へんさん)された歴史書「日本紀略」の797年の記述に「山城国府を長岡京の南に移した。葛野(かどの)郡(現・右京区)の土地が狭くなったため」という趣旨の記述がある。淀川にあった山崎の津(港)と平安京を結ぶ直線道路「久我畷(こがなわて)」沿いの便のいい位置にあることから、同センターは山城国府そのものか、山崎の津に関連する役所だった可能性もあるとみている。
現地説明会は17日午前10時半から。小雨決行。問い合わせは、同センター(075・933・3877)へ。
国史大系 日本紀略 前篇 (新訂増補 新装版) | |
クリエーター情報なし | |
吉川弘文館 |