
「出ていかんと死ぬぞ」。興奮した男の声が住宅街に響いた。2月28日朝、大阪府高槻市別所中の町の男の家を訪れた知人女性が2階のベッドで亡くなっている男の妻を発見し、110番。大阪府警の捜査員が駆けつけたが、男は果物ナイフを自分の首に突きつけて「死ぬぞ」と叫び、1階のリビングに立てこもった。捜査員が続々と集結し、厳戒態勢がしかれる民家周辺。静かな住宅街は緊迫した雰囲気に包まれ、住民らは固唾をのんで一部始終を見守った。捜査員が突入し、男を殺人容疑で緊急逮捕したのは約3時間半後。突入と同時に男は自分の胸をナイフで刺し、自殺を図った。男の常軌を逸した行動。その裏にある事件までの謎の1週間とは-。
■社内ではおしどり夫婦
男は会社員の長田武士容疑者(32)。妻は同じ会社に勤める恭子さん(38)で、首には絞められたような痕があり、司法解剖の結果、窒息死と判明した。長田容疑者は「先月26日に妻を殺した」と話しているという。
夫婦の勤務先は高槻市内の建設会社。会社によると、恭子さんは総務部に所属し、長田容疑者は工事現場で現場監督や管理を担当していた。長田容疑者は平成10年4月に高卒で入社。後に入社してきた恭子さんと約5年前に結婚したという。
事件後、上司は「仲のよい夫婦でトラブルを聞いたこともなかった。恭子さんはいつも明るく、長田容疑者はまじめに働いていた。本当に驚いている」と信じられない様子で話した。
だが、夫婦の異変は立てこもり事件の1週間前から始まっていた。先月21日以降、恭子さんは欠勤が続き、長田容疑者は「妻はインフルエンザで休んでいる」「しんどそうだ」などと説明。自身も事件から1日前の27日から無断欠勤していた。
■「何で警察沙汰になってんねん」
恭子さんの欠勤が始まった先月21日、遺体の第一発見者となる知人女性は恭子さんと会う約束をしていた。だが、恭子さんは現れず、以降、連絡がつかなくなってしまった。恭子さんは几帳面(きちょうめん)な性格で、約束をすっぽかすことはこれまでになかったため、女性は「恭子さんの身に何かあったのではないか」と不安を募らせていった。
そして同27日昼ごろ、夫婦宅を訪れ、長田容疑者に恭子さんとの面会を求めたが、拒否された。
「おかしい」。危機感を抱いた女性は「恭子さんと連絡が取れず、会わせてももらえない。何かあったのではないか」と、夫婦宅近くから、110番した。駆けつけた大阪府警高槻署員が、「奥さんと話がしたい」と呼びかけると、長田容疑者はチェーンロックをかけた玄関ドアを数センチだけ開け、「妻は風邪で寝ているだけなので帰ってくれ」と拒んだ。
「なんで警察沙汰になってんねん」、「敷地に入るな」などと興奮した様子も見せていた。
署員は、約50分間にわたって説得を続けたが、長田容疑者がドアを開けることはなく、署員は詳しい状況を確認できないまま引き上げたという。同署は「夫婦のトラブルについて、これまでに相談は一切なかった。直ちに立ち入る緊急性はないと判断した」としている。
■3時間半の説得
翌28日朝、再び夫婦宅を訪問した女性は、心配して様子を見に来た夫婦の会社の上司の男性と家の前で偶然会った。午前10時16分、男性の求めに応じた長田容疑者に招き入れられた2人は、2階寝室のベッドの上で、あおむけに倒れている恭子さんを発見。恭子さんはすでに死亡していた。
「早く来てください」。女性の110番で同署員らが駆けつけると、長田容疑者は突然興奮し、ナイフを手に1階のリビングに駆け込んだ。
「家から出ていかないと死ぬぞ」。長田容疑者は自分の首にナイフを突きつけて叫び続けた。
事態の急転を受け、府警本部から立てこもり事件に対応する捜査1課特殊班(MAAT)の捜査員が臨場。パトカーや救急車も次々と集まり、辺りは騒然となった。捜査員の姿には興奮したが、女性の入室には抵抗しなかった長田容疑者。女性が説得を申し出たため、捜査員は女性を通じて長田容疑者の説得にあたろうと判断。玄関先で長田容疑者から隠れるようにして待機した。
リビングに入り説得を続ける女性。午後1時ごろ、いったん退室した女性は、捜査員に「長田容疑者が30分後に出てくると言っている」と伝えた。だが、長田容疑者は時間になっても出てくる気配はなく、再び自殺をほのめかし出した。
■突入の決断
「もうこれ以上はあかん。ぼちぼちやな」
捜査員の間で緊迫感が高まりだしたとき、長田容疑者がストーブに点火。火の気が加わったことで、捜査員は再びリビングに入っていた女性の身の危険を考慮し、突入を決断した。
午後1時47分。女性が再び外に出てきたのと入れ替わりに、捜査員がリビングになだれ込んだ。その瞬間、捜査員らに背を向けていた長田容疑者からうめき声が。急いで駆け寄ると、長田容疑者の胸から血が流れ出していた。
「救急隊の人、担架持ってきて」
捜査員の叫び声が響き渡り、自殺を図った長田容疑者は上半身を裸にされ、搬送された。病院で手当てを受け、命に別条はないという。近所の主婦は、「普段は静かなところなので、こんな事件が起きて驚いたが、ほかにけが人が出なくてよかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
■2人の間に一体何が
恭子さんの無事が最後に確認されたのは2月20日。このときは、職場で普段通り仕事をこなしていたという。事件後、会社は従業員らに夫婦について尋ねたが、トラブルなどは一切浮かんでこなかった。
殺害した妻の遺体を放置し、発覚後には立てこもって自殺を図る…。普段の長田容疑者からは、想像もできない行動だと周囲は口をそろえる。わずか1週間で夫婦に何があったのか。同署は長田容疑者の回復を待ち、1週間の謎の解明に向けた本格的な事情聴取を始める。
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