先月半ば、愛猫が、亡くなりました。
お寺で荼毘に付された朝、鉢の桔梗が、返り咲きのつぼみをつけまして、いまにも、ひらきそうです。
決して、残念な亡くなり方でなかったです。
少しずつ、兆しはあって、衰えを感じていました。
15歳でした。
にんげんでいう、ほぼ80歳。
主治医に相談し、設備のととのった病院へ、救急搬送しました。
それから、奇跡としか思われぬことが重なり、家の人も、仕事を投げ出したりせずに、死に目に、駆けつけることができました。
わたしはもう、はらを括っていましたから、できるだけ、落ち着いた、やさしい声をかけました。
それから、医師の、蘇生のマッサージを気持ちよさそうに受けながら、亡くなりました。
看取ってくださった救急の獣医師さんは、「いままで動物の死に目を数多く見てきましたが、この子は、ずっと幸せです」と、おっしゃいました。
荼毘に付す前、家の人の提案で、右前肢にわたしの髪を、結びました。
いまは、主治医の先生が、わたしたちへ、はがきでくださった慰めの言葉にも、喜んでいるでしょう。
この子の四十九日が、わたしを可愛がってくれた、辰巳方の祖父の命日と重なりますので、それまで、よくよく毎日、思い出してやりたいとおもっています。
15年前、近所の人から、捨て猫のいのち一つ、保護を頼まれました。
まっとうさせてくれて、ありがとう。
お寺で荼毘に付された朝、鉢の桔梗が、返り咲きのつぼみをつけまして、いまにも、ひらきそうです。
決して、残念な亡くなり方でなかったです。
少しずつ、兆しはあって、衰えを感じていました。
15歳でした。
にんげんでいう、ほぼ80歳。
主治医に相談し、設備のととのった病院へ、救急搬送しました。
それから、奇跡としか思われぬことが重なり、家の人も、仕事を投げ出したりせずに、死に目に、駆けつけることができました。
わたしはもう、はらを括っていましたから、できるだけ、落ち着いた、やさしい声をかけました。
それから、医師の、蘇生のマッサージを気持ちよさそうに受けながら、亡くなりました。
看取ってくださった救急の獣医師さんは、「いままで動物の死に目を数多く見てきましたが、この子は、ずっと幸せです」と、おっしゃいました。
荼毘に付す前、家の人の提案で、右前肢にわたしの髪を、結びました。
いまは、主治医の先生が、わたしたちへ、はがきでくださった慰めの言葉にも、喜んでいるでしょう。
この子の四十九日が、わたしを可愛がってくれた、辰巳方の祖父の命日と重なりますので、それまで、よくよく毎日、思い出してやりたいとおもっています。
15年前、近所の人から、捨て猫のいのち一つ、保護を頼まれました。
まっとうさせてくれて、ありがとう。