六 俊成と定家――歌のしらべと双方向性
最終の章では、俊成と定家の美意識の違いや、俊成が息子の定家へ伝えようとしたことは何かを見ていきます。第二章で述べたように、俊成は、和歌は必ず声に出して詠みあげるものだと説きました。『新古今和歌集』の編纂に携わった定家は、父俊成が編纂に携わった『千載和歌集』の助手を務めたといわれています。定家は、和歌のしらべについて、俊成の教えをどのように受け止めていたのでしょうか。そこで、それぞれの選歌に政治的干渉のない年代の作者で、佳作が多く多作の同一作者の歌に絞り込み、和歌のしらべについて、『千載集』と『新古今集』のしらべにおける、好むところの違いを調べてみます。ここでは、和泉式部の歌を、その例に取り上げます。
(1) 歌のしらべ
まず、和泉式部は、『千載集』から見ても『新古今集』から見ても二百年ばかり昔、『源氏物語』とほぼ同時代。恋愛遍歴において数々の伝説を残していますが、勅撰集への入集の多い歌人として有名であり、秀歌としての普遍性から見ても、和歌千年の歴史上、最高の歌人です。その歌は、最多入集の『後拾遺和歌集』では六七首中、「恋」二二首。『千載和歌集』では二十首中、「恋歌」八首。『新古今和歌集』では二五首中、「恋歌」六首。この数字から、和泉式部は恋の部ばかりでなく、その他の部にも秀歌が多いとわかります。
ここでは、しらべのみに着眼したく思うので、恋・哀傷・述懐といった私小説性とひもづかない、季節や自然を詠んだ歌にさらに絞り込んで、『千載集』と『新古今集』の好むところの違いを見ていくとしましょう。
●『千載和歌集』22・33・206・247番
梅が香におどろかれつつ春の夜のやみこそ人はあくがらしけれ
UEAAI/OOOAEUU/AUOOO/AIOOIOA/AUAAIEE
つれづれとふるはなみだの雨なるを春の物とやひとの見ゆらむ
UEUEO/UUAAIAO/AEAUO/AUOOOOA/IOOIUAU
見るがなほこの世の物とおぼえぬはからなでしこの花にぞ有りける
IUAAO/OOOOOOO/OOEUA/AAAEIOO/AAIOAIEU
人もがな見せも聞かせも萩の花さく夕かげのひぐらしの声
IOOAA/IEOIAEO/AIOAA/AUUUAEO/IUAIOOE
●『新古今和歌集』370・408・583・624番
秋くれば常磐の山の松風もうつるばかりに身にぞしみける
AIUEA/OIAOAAO/AUAEO/UUUAAII/IIOIIEU
たのめたる人はなけれど秋の夜は月見で寝べきここちこそせね
AOEAU/IOAAEEO/AIOOA/UIIEUEI/OOIOOUE
世の中になほもふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へば
OOAAI/AOOUUAA/IUEUU/UOAOUIO/IEAOOOEA
野べ見れば尾花がもとの思ひ草枯れゆく冬になりぞしにける
OEIEA/OAAAOOO/OOIUA/AEUUUUI/AIOIIEU
それぞれの和歌の母音の連鎖を、アルファベットで示しました。ここで、句がA音で始まる、もしくはA音で切れるところ、AA音、UA音、OA音と続くところを「ハレ音節」と呼ぶことにします。そして、ハレ音節は発声しやすく、しらべを明るく整える働きがあるといったん定義します。
『千載集』の選歌と『新古今集』の選歌は、それぞれに俊成と定家の好みからでしょうか。前者では、ハレ音節が一首全体にゆきわたっていますが、後者では、下句へいくほどハレ音節が少なくなっていきます。またそれに、I音とE音の連続するところが多く、暗い感じがします。
これは音節だけの比較で、和歌を味わうときにはもちろん、意味も併せて味わいますから、しらべだけをもって、歌のよしあしをいえません。しかし、『千載集』と『新古今集』とのあいだに、しらべにおける、おそらくは撰者による好みの違いを見てとれるのではないでしょうか。
俊成は、和歌は声に出して詠みあげるべきものとする、その考えのとおりに、声に出して味わいやすい調べの歌を『千載集』に選んでいます。そして、定家が実務の中心となって編纂された『新古今集』では、定家が俊成の美意識を知りつつも、歌のしらべにおいては、また違った美意識でとらえていたことがうかがわれます。検証はまだ途上ですが、私は、定家は訥々としたしらべを好んだと仮設しており、『定家十体』鬼拉の体における万葉調の歌の多さにも、それがうかがわれると踏んでいます。
(2) 双方向性
俊成は、判者を務めた1192年の『六百番歌合』の次のような番において、定家を負けとしました。息子の定家の歌を負けとした番に、歌の家、御子左家の跡取りである定家に、歌人として引き継いでもらいたい本意、本望を見られると考えました。このうち、秋下の十六番の判詞に、双方向性についての言及があります。
●秋下―十六番 (九月九日)
左 定家朝臣
祝ひ置きてなほ長月と契るかな今日摘む菊の末の白露
右 勝 隆信朝臣
君が経ん代を長月のかざしとて今日折り得たる白菊の花
判じて云はく、左の歌、姿詞は優なるべし。右の歌、「今日折り得たる」などいふ秀句は、事古りて庶幾すべからずは侍れど、左は、ただ我が契れる歌なり。右は、君を祝ひて侍れば、勝と定め申し侍るべし。
〈判の大意〉左の歌は、言葉遣いが優雅でいいですね。右の歌は、「折り得たる」などの掛詞のある秀句は、言い古されてわざわざすべきものでもありませんが、左は、ただ自分がお祈りしている歌でしょう。しかし右は、相手をお祝いしている歌ですので、右の勝ち。
「九月一日」は、成人した女性の健康長寿を祝い、祈願する長陽の節句です。左歌は、措辞が優雅でも、自然物とのみ向き合っており、お祝いされる相手の女性の様子が見えてきません。判者が勝ちとした右歌からは、花かんざしを髪にあしらった女性の笑顔が見えてくるようです。つまり、ひととひととの間に、双方向性があります。社会性といってもよいでしょう。
定家には、みずから作り出した言語美の世界に、閉じこもってしまうようなところがあったのかもしれません。自己の内面や自然物とのみ向き合うのではなく、伝えることを重んじてほしいと、俊成は、願ったのではないでしょうか。美しいものは、ただそれだけを描くことで自己完結してはならないことを、外界へ向けて、時と場所を超え、ひきつづき開かれていることを、俊成は、伝えたかったのではないでしょうか。
他の、定家を負けとした他の判も、見ていきましょう。
●秋中―二番(秋雨)
左 定家朝臣
行方無き秋の思ひぞせかれぬる村雨なびく雲の遠方(をちかた)
右 勝 信定
日に添へて秋の涼しさ集ふなり時雨はまだし夕暮の雨
判じて云はく、左、「雲の遠方」、聞きにくきよし、右の方人申すと云云、さも侍らん。およそ、おのおのの方人の申す旨、存じ申すところとは、常は依違し侍れば、強ひて訓尺し申しあたはざる者なり。「時雨はまだし」も宜しくこそ侍るめれ。歌には、「いまだ」とやは詠み侍る。「まだしき程の声をきかばや」とこそは、古今にも侍るめれ。右の歌の下の句、殊にをかし。右を以て勝ちとすべし。
〈判の大意〉左は「雲の遠方」に、右は「まだし」の部分に、相手の陣営からそれぞれ批難がありますが、取り立てるほどのことでもないでしょう。歌の言い回しとしては、「まだし」ではなく「いまだ」とすべきところですが、「まだしき」という用例が、古歌にございますね。右歌の下の句が特にいいです。右の勝ち。
●恋三―四番 (顕恋)
左 定家朝臣
よしさらば今は忍ばで恋死なん思ふに負けし名にだにも立て
右 勝 中宮権大夫
君恋ふと人には知れぬいかにして逢はぬ憂き名を今は包まん
判じて云はく、左の歌、まことに心ゆきも侍らぬにや。右の歌、「知れぬ」、古めかしくは侍れど、又、古き詞のこるも宜しき事に侍るにや。「知れぬ」を勝つと申すべし。
〈判の大意〉左の歌は、本当に納得がいきませんね。右の歌は、「しれぬ」が古めかしいけれど、言い古された表現があっても、まあ別にわるくもないでしょう。右の勝ち。
秋中―二番の左、俊成は右歌を勝ちとする根拠を、内容の面からも修辞の面からも述べてはいません。すると、この左右の判詞は、やはり、しらべにおいて右がまさっていたからではないでしょうか。
恋三―四番の題「顕恋」は、世間に知られてしまった恋。俊成は、左の歌は、世間の噂になってからひらきなおるというのは納得がいかず、評価する気になれないと述べ、左の歌がまったく良くないため、右の歌が勝ちとなった次第です。定家としてみれば、世間の目を顧みる恋など、純粋さを欠くとして否定したかったのかもしれませんが、この番もやはり、しらべにおいて、右歌のほうが格段に明るいのです。
跋文
恋とともに政争の内実をも描いた『源氏物語』の時代を経て、『新古今和歌集』の時代には、恋よりも大きな主題として、無常がありました。そして「新古今」調の胎動した時代は、武士が貴族を監視するまでに政権の逆転した、貴族にとっては非常に厳しい時代でした。じつは、俊成も、『新古今和歌集』の代表的歌人の一人、西行も、平清盛と同世代の人でした。俊成もまた、この激動期を生き抜いて、太平洋戦争になぞらえれば、定家は、戦中生まれの戦後派といったところでしょうか。
さきの章で、「毎月抄」における和歌の要諦は、つづまるところ精神論だと書きました。私は、この稿を書きながらつまらないことを考えていて、精神論を肯定しきっていいのか、第二次世界大戦の、人類初の核兵器による犠牲を強いた一九四五年の出来事、太平洋戦争という未曽有の暗黒史を招いたものが、現在の国体の前身である大日本帝国の忠君愛国思想、あれこそまさに、精神論ではなかったか……。
ですが、その暗黒の精神論のうちに、十九歳の定家が『明月記』に記したこの言が、ぽっと灯るように感じられてしまうのです。
「紅旗征戎吾が事にあらず」
藤本孝一著『本を千年つたえる』によりますと、俊成から和歌についての教えを受けた定家は、嫡男の為家にこれを伝授します。為家は、阿仏尼と恋に落ち、阿仏尼を側室に迎え、そのあいだに為相が生まれました。そうして、ここからがすったもんだで、為家の三人の子のそれぞれの家系が、めいめいに和歌の正統を唱えて、現代まで遺されたのが冷泉家のご文庫であったとか。
知財や領地、恋をめぐり、どの時代の歌人も、自ら業を作り、厄介事に巻き込まれながら生きたということでしょう。すると今度は、『源氏物語』、「須磨」のこの文言が、ぽっと灯るようです。
「心の行く方は同じこと。何かことなる」
やはり、生きるって、綺麗事ではなかったのです。
定家はまた、住吉神社で和歌の神様からお告げを受けたとして、『毎月抄』にこの文言を記しています。
「汝、月明らかなり」
――おまえのうえに、月が照り輝いているよ。
「心」は、すべての体になければならない。定家がこのようにいうのは、歌に心があるとき、その歌は、暗夜を照らす月のように、ゆく道を照らすものとなるからではないでしょうか。歌のもととなるこころを、月のようによくよく澄ましているとき、歌のなかにも、こころが生まれるのでしょう。私の歌もまた、暗夜を照らす月のようなものでありますように。
本稿をしたためるにあたり、参考にさせていただいた典籍の著者、訳者、校注者の皆様に深く敬意を表します。
二〇二二年(令和四年)五月吉日
《参考資料》
・「なかにし礼 終戦記念日インタビュー 国に棄てられて」2017年8月14日 東京新聞チャンネル(YouTube)
・「国宝『明月記』と藤原定家の世界」藤本孝一著(臨川書店)
・「本を千年つたえる 冷泉家叢書の文化史」藤本孝一著(朝日新聞出版)
・『妖艶 定家の美』石田吉貞著(塙書房)
・新潮日本古典集成『新古今和歌集』校注…久保田淳(新潮社)
・新潮日本古典集成『古今和歌集』校注…奥村恆哉(新潮社)
・新編日本古典文学全集『歌論集』(小学館)
「古来風躰抄」校注・訳…有吉保、
「近代秀歌」「詠歌大概」「毎月抄」校注・訳…藤平春男
・新編日本古典文学全集『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
「伊勢物語」校注・訳…福井貞助
「大和物語」校注・訳…高橋正治
・新編日本古典文学全集『源氏物語』校注・訳…阿部秋生、秋山虔、今井源衛、鈴木日出男(小学館)
・新日本古典文学大系『千載和歌集』校注…片野達郎、松野陽一(岩波書店)
・新編日本古典文学全集『平家物語』校注・訳…市古貞次(小学館)
・鴨長明『無名抄』訳注…久保田淳(角川ソフィア文庫)
・『定家明月記私抄』堀田善衛(ちくま学芸文庫)
最終の章では、俊成と定家の美意識の違いや、俊成が息子の定家へ伝えようとしたことは何かを見ていきます。第二章で述べたように、俊成は、和歌は必ず声に出して詠みあげるものだと説きました。『新古今和歌集』の編纂に携わった定家は、父俊成が編纂に携わった『千載和歌集』の助手を務めたといわれています。定家は、和歌のしらべについて、俊成の教えをどのように受け止めていたのでしょうか。そこで、それぞれの選歌に政治的干渉のない年代の作者で、佳作が多く多作の同一作者の歌に絞り込み、和歌のしらべについて、『千載集』と『新古今集』のしらべにおける、好むところの違いを調べてみます。ここでは、和泉式部の歌を、その例に取り上げます。
(1) 歌のしらべ
まず、和泉式部は、『千載集』から見ても『新古今集』から見ても二百年ばかり昔、『源氏物語』とほぼ同時代。恋愛遍歴において数々の伝説を残していますが、勅撰集への入集の多い歌人として有名であり、秀歌としての普遍性から見ても、和歌千年の歴史上、最高の歌人です。その歌は、最多入集の『後拾遺和歌集』では六七首中、「恋」二二首。『千載和歌集』では二十首中、「恋歌」八首。『新古今和歌集』では二五首中、「恋歌」六首。この数字から、和泉式部は恋の部ばかりでなく、その他の部にも秀歌が多いとわかります。
ここでは、しらべのみに着眼したく思うので、恋・哀傷・述懐といった私小説性とひもづかない、季節や自然を詠んだ歌にさらに絞り込んで、『千載集』と『新古今集』の好むところの違いを見ていくとしましょう。
●『千載和歌集』22・33・206・247番
梅が香におどろかれつつ春の夜のやみこそ人はあくがらしけれ
UEAAI/OOOAEUU/AUOOO/AIOOIOA/AUAAIEE
つれづれとふるはなみだの雨なるを春の物とやひとの見ゆらむ
UEUEO/UUAAIAO/AEAUO/AUOOOOA/IOOIUAU
見るがなほこの世の物とおぼえぬはからなでしこの花にぞ有りける
IUAAO/OOOOOOO/OOEUA/AAAEIOO/AAIOAIEU
人もがな見せも聞かせも萩の花さく夕かげのひぐらしの声
IOOAA/IEOIAEO/AIOAA/AUUUAEO/IUAIOOE
●『新古今和歌集』370・408・583・624番
秋くれば常磐の山の松風もうつるばかりに身にぞしみける
AIUEA/OIAOAAO/AUAEO/UUUAAII/IIOIIEU
たのめたる人はなけれど秋の夜は月見で寝べきここちこそせね
AOEAU/IOAAEEO/AIOOA/UIIEUEI/OOIOOUE
世の中になほもふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へば
OOAAI/AOOUUAA/IUEUU/UOAOUIO/IEAOOOEA
野べ見れば尾花がもとの思ひ草枯れゆく冬になりぞしにける
OEIEA/OAAAOOO/OOIUA/AEUUUUI/AIOIIEU
それぞれの和歌の母音の連鎖を、アルファベットで示しました。ここで、句がA音で始まる、もしくはA音で切れるところ、AA音、UA音、OA音と続くところを「ハレ音節」と呼ぶことにします。そして、ハレ音節は発声しやすく、しらべを明るく整える働きがあるといったん定義します。
『千載集』の選歌と『新古今集』の選歌は、それぞれに俊成と定家の好みからでしょうか。前者では、ハレ音節が一首全体にゆきわたっていますが、後者では、下句へいくほどハレ音節が少なくなっていきます。またそれに、I音とE音の連続するところが多く、暗い感じがします。
これは音節だけの比較で、和歌を味わうときにはもちろん、意味も併せて味わいますから、しらべだけをもって、歌のよしあしをいえません。しかし、『千載集』と『新古今集』とのあいだに、しらべにおける、おそらくは撰者による好みの違いを見てとれるのではないでしょうか。
俊成は、和歌は声に出して詠みあげるべきものとする、その考えのとおりに、声に出して味わいやすい調べの歌を『千載集』に選んでいます。そして、定家が実務の中心となって編纂された『新古今集』では、定家が俊成の美意識を知りつつも、歌のしらべにおいては、また違った美意識でとらえていたことがうかがわれます。検証はまだ途上ですが、私は、定家は訥々としたしらべを好んだと仮設しており、『定家十体』鬼拉の体における万葉調の歌の多さにも、それがうかがわれると踏んでいます。
(2) 双方向性
俊成は、判者を務めた1192年の『六百番歌合』の次のような番において、定家を負けとしました。息子の定家の歌を負けとした番に、歌の家、御子左家の跡取りである定家に、歌人として引き継いでもらいたい本意、本望を見られると考えました。このうち、秋下の十六番の判詞に、双方向性についての言及があります。
●秋下―十六番 (九月九日)
左 定家朝臣
祝ひ置きてなほ長月と契るかな今日摘む菊の末の白露
右 勝 隆信朝臣
君が経ん代を長月のかざしとて今日折り得たる白菊の花
判じて云はく、左の歌、姿詞は優なるべし。右の歌、「今日折り得たる」などいふ秀句は、事古りて庶幾すべからずは侍れど、左は、ただ我が契れる歌なり。右は、君を祝ひて侍れば、勝と定め申し侍るべし。
〈判の大意〉左の歌は、言葉遣いが優雅でいいですね。右の歌は、「折り得たる」などの掛詞のある秀句は、言い古されてわざわざすべきものでもありませんが、左は、ただ自分がお祈りしている歌でしょう。しかし右は、相手をお祝いしている歌ですので、右の勝ち。
「九月一日」は、成人した女性の健康長寿を祝い、祈願する長陽の節句です。左歌は、措辞が優雅でも、自然物とのみ向き合っており、お祝いされる相手の女性の様子が見えてきません。判者が勝ちとした右歌からは、花かんざしを髪にあしらった女性の笑顔が見えてくるようです。つまり、ひととひととの間に、双方向性があります。社会性といってもよいでしょう。
定家には、みずから作り出した言語美の世界に、閉じこもってしまうようなところがあったのかもしれません。自己の内面や自然物とのみ向き合うのではなく、伝えることを重んじてほしいと、俊成は、願ったのではないでしょうか。美しいものは、ただそれだけを描くことで自己完結してはならないことを、外界へ向けて、時と場所を超え、ひきつづき開かれていることを、俊成は、伝えたかったのではないでしょうか。
他の、定家を負けとした他の判も、見ていきましょう。
●秋中―二番(秋雨)
左 定家朝臣
行方無き秋の思ひぞせかれぬる村雨なびく雲の遠方(をちかた)
右 勝 信定
日に添へて秋の涼しさ集ふなり時雨はまだし夕暮の雨
判じて云はく、左、「雲の遠方」、聞きにくきよし、右の方人申すと云云、さも侍らん。およそ、おのおのの方人の申す旨、存じ申すところとは、常は依違し侍れば、強ひて訓尺し申しあたはざる者なり。「時雨はまだし」も宜しくこそ侍るめれ。歌には、「いまだ」とやは詠み侍る。「まだしき程の声をきかばや」とこそは、古今にも侍るめれ。右の歌の下の句、殊にをかし。右を以て勝ちとすべし。
〈判の大意〉左は「雲の遠方」に、右は「まだし」の部分に、相手の陣営からそれぞれ批難がありますが、取り立てるほどのことでもないでしょう。歌の言い回しとしては、「まだし」ではなく「いまだ」とすべきところですが、「まだしき」という用例が、古歌にございますね。右歌の下の句が特にいいです。右の勝ち。
●恋三―四番 (顕恋)
左 定家朝臣
よしさらば今は忍ばで恋死なん思ふに負けし名にだにも立て
右 勝 中宮権大夫
君恋ふと人には知れぬいかにして逢はぬ憂き名を今は包まん
判じて云はく、左の歌、まことに心ゆきも侍らぬにや。右の歌、「知れぬ」、古めかしくは侍れど、又、古き詞のこるも宜しき事に侍るにや。「知れぬ」を勝つと申すべし。
〈判の大意〉左の歌は、本当に納得がいきませんね。右の歌は、「しれぬ」が古めかしいけれど、言い古された表現があっても、まあ別にわるくもないでしょう。右の勝ち。
秋中―二番の左、俊成は右歌を勝ちとする根拠を、内容の面からも修辞の面からも述べてはいません。すると、この左右の判詞は、やはり、しらべにおいて右がまさっていたからではないでしょうか。
恋三―四番の題「顕恋」は、世間に知られてしまった恋。俊成は、左の歌は、世間の噂になってからひらきなおるというのは納得がいかず、評価する気になれないと述べ、左の歌がまったく良くないため、右の歌が勝ちとなった次第です。定家としてみれば、世間の目を顧みる恋など、純粋さを欠くとして否定したかったのかもしれませんが、この番もやはり、しらべにおいて、右歌のほうが格段に明るいのです。
跋文
恋とともに政争の内実をも描いた『源氏物語』の時代を経て、『新古今和歌集』の時代には、恋よりも大きな主題として、無常がありました。そして「新古今」調の胎動した時代は、武士が貴族を監視するまでに政権の逆転した、貴族にとっては非常に厳しい時代でした。じつは、俊成も、『新古今和歌集』の代表的歌人の一人、西行も、平清盛と同世代の人でした。俊成もまた、この激動期を生き抜いて、太平洋戦争になぞらえれば、定家は、戦中生まれの戦後派といったところでしょうか。
さきの章で、「毎月抄」における和歌の要諦は、つづまるところ精神論だと書きました。私は、この稿を書きながらつまらないことを考えていて、精神論を肯定しきっていいのか、第二次世界大戦の、人類初の核兵器による犠牲を強いた一九四五年の出来事、太平洋戦争という未曽有の暗黒史を招いたものが、現在の国体の前身である大日本帝国の忠君愛国思想、あれこそまさに、精神論ではなかったか……。
ですが、その暗黒の精神論のうちに、十九歳の定家が『明月記』に記したこの言が、ぽっと灯るように感じられてしまうのです。
「紅旗征戎吾が事にあらず」
藤本孝一著『本を千年つたえる』によりますと、俊成から和歌についての教えを受けた定家は、嫡男の為家にこれを伝授します。為家は、阿仏尼と恋に落ち、阿仏尼を側室に迎え、そのあいだに為相が生まれました。そうして、ここからがすったもんだで、為家の三人の子のそれぞれの家系が、めいめいに和歌の正統を唱えて、現代まで遺されたのが冷泉家のご文庫であったとか。
知財や領地、恋をめぐり、どの時代の歌人も、自ら業を作り、厄介事に巻き込まれながら生きたということでしょう。すると今度は、『源氏物語』、「須磨」のこの文言が、ぽっと灯るようです。
「心の行く方は同じこと。何かことなる」
やはり、生きるって、綺麗事ではなかったのです。
定家はまた、住吉神社で和歌の神様からお告げを受けたとして、『毎月抄』にこの文言を記しています。
「汝、月明らかなり」
――おまえのうえに、月が照り輝いているよ。
「心」は、すべての体になければならない。定家がこのようにいうのは、歌に心があるとき、その歌は、暗夜を照らす月のように、ゆく道を照らすものとなるからではないでしょうか。歌のもととなるこころを、月のようによくよく澄ましているとき、歌のなかにも、こころが生まれるのでしょう。私の歌もまた、暗夜を照らす月のようなものでありますように。
本稿をしたためるにあたり、参考にさせていただいた典籍の著者、訳者、校注者の皆様に深く敬意を表します。
二〇二二年(令和四年)五月吉日
《参考資料》
・「なかにし礼 終戦記念日インタビュー 国に棄てられて」2017年8月14日 東京新聞チャンネル(YouTube)
・「国宝『明月記』と藤原定家の世界」藤本孝一著(臨川書店)
・「本を千年つたえる 冷泉家叢書の文化史」藤本孝一著(朝日新聞出版)
・『妖艶 定家の美』石田吉貞著(塙書房)
・新潮日本古典集成『新古今和歌集』校注…久保田淳(新潮社)
・新潮日本古典集成『古今和歌集』校注…奥村恆哉(新潮社)
・新編日本古典文学全集『歌論集』(小学館)
「古来風躰抄」校注・訳…有吉保、
「近代秀歌」「詠歌大概」「毎月抄」校注・訳…藤平春男
・新編日本古典文学全集『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
「伊勢物語」校注・訳…福井貞助
「大和物語」校注・訳…高橋正治
・新編日本古典文学全集『源氏物語』校注・訳…阿部秋生、秋山虔、今井源衛、鈴木日出男(小学館)
・新日本古典文学大系『千載和歌集』校注…片野達郎、松野陽一(岩波書店)
・新編日本古典文学全集『平家物語』校注・訳…市古貞次(小学館)
・鴨長明『無名抄』訳注…久保田淳(角川ソフィア文庫)
・『定家明月記私抄』堀田善衛(ちくま学芸文庫)