道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

嫁姑

2013年12月28日 | 人文考察
世の中楽しみごとが増えた。特に主婦は、専業であれ兼業であれ、旅行、観劇、音楽鑑賞、グルメ、技芸習い事、創作、学習などこの世の様々な楽しみごとを満喫できる立場に居る。そしてこれらの楽しみ事は、今や姑世代のものになった。

息子にお嫁さんが来て孫が生まれ夫は目出度く定年退職、経済的にも余裕があり、責務はなく自由な時間を自らのために使うことの悦び。ふと気付けば、たしか娘時代の数年間は、断続的にそのような過ごし方をしていた。その頃の親達は自分たちの経験に鑑み、娘が嫁げば自由のない隠忍の時を送ると予想していたから、自分たちの手元にあるときはできるだけ自由を楽しめるようはからった。姑たちはその懐かしいよき娘時代に回帰したのだから、愉しいことこの上ない。

かつてこの国には嫁姑問題が厳然と存在した。長子相続でイエに嫁を取る家族制度であったから、長男のところに嫁いだ女性はそのイエの家風・しきたりを一から姑に学ばねばならなかった。これはその家のみに伝わる一種の伝統だから、姑以外の者から学ぶことはできない。姑は伝統の重みを利用して、己の権威を高め独善を嫁に押しつける。実家の風習と較べて不合理なものであっても、姑の目の黒いうちは改善を許されない。

たまたま姑が開明な人であったなら助かるが、なにしろ世の中は8対2の原則が生きている。頑迷固陋な姑は全体の8割を占めていたから、若いお嫁さんは苦労した。次・三男の妻にはこのような試練は無かった。あっても姑の日常的なチェックを免れているから、無いに等しい。

その時代の姑一般が嫁ぐまでの娘時代は、稽古と家事専念で世間が狭く、楽しみごとは極端に制限されていた。嫁げば嫁いだで四六時中姑の目が注がれていた。これではお嫁さんはたまったものではない。嫁姑問題は、日本が敗戦して家族制度が崩壊するまで続いた。

戦後の民主化の最大の享受者が婦人であることは今更言うまでも無い。姑もお嫁さんも因循姑息なインフォーマルな家族制度から解放されて久しい。女性の平均寿命の著しい伸びと医療の進歩充実や健康増進への関心と努力は、姑世代を実質的に20歳ほど若くした。今やこの世代は交際と見聞を広めることに忙しく、お嫁さんをかまう暇はない。

お嫁さんの側も意識が変わった。現代は姑に学ぶことなど何もない。家風も守る者がいなければ瞬く間に風化する。姑の知識などスマホひとつで事足りる時代。ガラケーしか使えない姑との情報格差は広まるばかりだ。

お嫁さん達は、普遍性のない、その家にだけ通用する封建制の残滓のようなものは率先排除するようになった。ついでに、その家に伝えられていた淳風良俗も棄ててしまった。かくて嫁姑問題は消滅し、結構な世の中になった。

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