道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

景観

2019年07月09日 | 人文考察
私は日本の農村風景に接すると、いつも心安らぐものを感じる。世代を累ね、歳月に磨き上げられたような居宅・庭園・屋敷林。そして平野を潤す河川や用水路の清冽な水系と緑の耕地。地形に従って耕地や里山を廻る農道と集落から伸びる生活道。産土神を祀る神社の、社殿と後背の杜。優美な曲線ですぐそれとわかる寺院の大屋根など。
 
生活が日々繰り返され、各世代の人生が連綿と続くうち、人工が自然に吸収されるまでに高められ調和を見た景観というものに、驚嘆と愛慕の念を抱かずにはいられない。一言でいえば、同胞のたゆみなく力強い生活の営みを直感できる情景だ。純然たる自然を見るときとはまた別の、大きな感動が湧き起こる。
 
それに対して、現代の都市部の街衢の景観には、感動するものが少ない。機能は美と一体のものの筈だが、どうもこの二つは跛行することもあるようだ。
 
敗戦によって焦土と化した後の、雨
風を凌ぐだけのバラック建築に始まり、RC造鉄骨造ビル建築が都市の建築物の標準となって復興のステップを駆け上がった昭和30年代。それに続き平成にかけての都市再開発や都市改造によって、高層ビル群の立ち並ぶ都市景観が完成した。しかし、そのビル群は、資本の非情で貪欲な本性を秘める端整な横顔を見せ立ち並ぶ。
 
都市はハコモノの展示場に成り下がったのだろうか?関東大震災前までの、江戸から明治に引き継がれた美しい木造建築の大都市東京が、わずか74年前までは辛うじて残存して
いたことを忘れてはいけない。東京大空襲がトドメを刺したのだ。

かつては都市にも生活と密着した景観があった。商店街、住宅街、商住または工住混在地、駅前広場、市場、橋、路地、稲荷の社、寺院、学校、工場、鉄道、役所などの都市施設は生活と密着していながら機能を発揮していた。
 
現代の都市景観には生活感がない。むしろそれを一切消し去る方向が都市に求められるようになった。物質的に豊かになった都市社会は、建築物に機能よりも審美的な価値を優先させることを競い合った。建築家を芸術家と混同する未熟な社会が、彼らに空間を独占させ、景観を損なわせてきた。
 
かつて英国で、チャールズ皇太子がロンドンの新設建築物の景観無視に苦言を呈したことがあった。先進国で起きた失敗の轍を、後進国が必ず踏んでしまうのは、どう考えればよいのだろう。
 
かつてはそれぞれの都市に、相応の風格と品格とがあった。今日の都市は上っ面の先進性と斬新性を競う商業ビジネスの場としてのみに存在意義を見出しているようにしか見えない。赤や黄を多用した中華風広告看板の氾濫はとどまるところを知らない。それらが地方都市の衰退により一層の拍車をかけているように思えてならない。少子高齢化が地方都市衰微の主因だとは決して思えない。別の原因に目を向けさせないだけだ。

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