道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

潔癖性の欠如

2021年04月19日 | 随想
放射能汚染水の海洋放出、議論はいろいろあるが、唯ひとつだけ、これだけは言わせてもらいたい。

トリチュウム処理水は、海外の原発でも希釈して海洋に放出しているというが、そんな話は大多数の国民は初めて聴いただろう。為にする情報である。
また、福島事故原発の廃炉作業に汚染水の海洋放出は必要だと国は言うが、これも為にする情報である。10年間検討研究して選択肢はこれひとつしか案がなかったのか?便宜性・経済性が優先された結論ではないのか?疑念は払拭できない。

私は海洋中や空気中という有限の空間に放射性物質を放出して希釈するという考え方に、極めて安易で不純なものを感ずる。限りなく希釈すれば、何処でサンプリングしても、科学的には普通の海水や空気と大差ないという考え方だ。この一見合理的に見える考えが、地球の環境を復元不能にしている。

科学者は、科学的潔癖性を失ってはいけないと思う。この地球の成り立ちを考えれば、自然に手を加える時、それが復元可能かどうかは考慮されなければならない。

人皆わが子が誕生した時のことを考えてもらいたい。誰がわが子を、放射線という遺伝子を分断する電磁波または粒子線を放射する物質に曝すことができようか?このような議論の時に、自然放射線を持ちだす愚考は控えてもらいたい。
自分は処理水を飲んでも好いという莫迦者でも、子や孫には飲ませないだろう。

科学者だろうがなんだろうが、希釈に妥協する精神を信用しない。科学は思考の純粋化の精華であるべきである。
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