私は自分の人生を顧みると、熱心に快適性を追い求めて生きてきたと思う。別の言い方をすると、不快なことを可能な限り避けて来たということになる。
こう書くと、独善的で利己的な人間と想像されてしまいそうだが、快適性を追求し不快なことを避けるのは、全ての生物に共通する自然の原理であると思っている。人間は誰もが快適性を求めて生きている。それが積極的かどうかは、それぞれの人の個性によって違いがある。
快適性と言っても、この日本語は漠然として意味が広く、具体的なイメージを捉えにくい。
日本語では舌足らずになるので、英語の語彙を借りて「快適」を、
「cozyでcomfortableな状態」と定義させていただく。
滅私報恩を尊び、苦節を讃え、他人への気遣いを評価する日本社会にあって、cozy & comfortableを貫き通すことは、それなりの配慮と工夫を要する。
先ずチェックすべきは
①cozyかどうか?
cozyは「居心地が良い」という訳語がわかりやすい。これは快適性が環境と衣・食・住生活に依拠していることを端的に示している。快適性の外部要件である。
次に
②comfortableはどうか?
これは「心身が安楽で気持ちが好い状態」である意とか。快適性は人をこの状態に導く。
具体的には、仕事・家族・交際・趣味・道楽に至るまで、生活の各方面が良好な状態にあり、充足していることである。心身が安楽とは、ずばり健康ということにほかならない。
病に罹れば、不快なことばかり。健康は、快適性向上の王道である。
①と②とが共に成立している状態をもって、快適性は保たれていると見てよいと思う。
老化によって医院や病院への通院が累なったり時には重なることになっては、快適性について考慮することが虚しくなる。高齢者が医療機関と疎遠でいる状態は、何よりの「快適」ということである。それには、生活習慣と適時の検診が大きく寄与して来るだろう。
次に快適性を左右するのは人間関係となる。快適性を損なう関係をもたないことを最善の対策と心得、時宜に応じた調整が欠かせない。
自分も含め人というものは、年齢と共に変化する部分がある。変化は関係に軋轢を生む可能性がある。
人間関係は洵に樹木に似ている。気に入った樹木を植栽し、花や実を着けるようになって喜んでいると、知らぬ間に幹は高く枝は延び、根も際限なく張る。剪定を怠ると、大きく繁茂し思わぬ弊害が出てくる。早め早めに対処することが望ましい。対人関係は「淡きこと水の如し」をもって最善と心得たい。
家族関係は快適性を決定づける最重要の要素である。心配や不安の芽は、早めに摘み取ることが重要だ。
自分たち夫婦の老化も、息子家族の日常生活の快適性に影響を与える。
成る可く若い連中の負担にならないよう努力しているが、こればかりは人為の埒外、幸運を祈ることしかできない。
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