アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

誰もが極楽浄土を求めた

2011年05月09日 | 旅行記

5月6日、ご縁有って京都府宇治市に有る平等院に出掛ける。

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平等院鳳凰堂

十円硬貨でお馴染の平等院鳳凰堂、今から960年程前の永承7年(1052)、栄華を極めた藤原一族の関白藤原頼通が藤原道長の別荘を寺院に改装したものだそうです。当時、お釈迦さんが亡くなられて2000年経つとお釈迦さんの教えが無くなり「末法の世」になり、天災人災で世の中が乱れると云われていました。この末法思想は特に貴族や僧良の中にひろがり死後は極楽浄土に行ける事を誰しも願いました。この鳳凰堂は阿弥陀如来を祀り、建物は朱塗りで煌びやかであり、堂内は雲に乗った菩薩さん(雲中供養菩薩像52体 国宝)が楽器等を持って空を舞う姿をで飾られ極楽浄土を再現したものです。

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鳳凰堂の鳳凰

末法思想は今の世にも当てはまります。お釈迦さんの教え(仏教)を聞くより金儲けが忙しいと毎日あくせくと走り回る私ども、法を説くべくお寺の住職も本業をないがしろにして浮世の仕事に駆け回り、仏教は葬式仏教と化した。末法の世の責任は決して仏教に携わっている方々の責任ではなく一種の社会的現象なのかも知れません。今回の東日本大震災の天災も、福島第一原発事故の人災も末法の世の一コマかと反省させられる。

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見事に咲いた平等院の藤の花

藤原家の栄華を象徴したのでしょうか、この見事な藤の花。しかし夏には花が散り、秋には葉も落とし、冬にはエネルギーを蓄え春に備える事でしょう。この自然の営みの様に東日本の被災された方や産業やインフラも日本民族の魂が根強く有る限り必ず復興をして再び栄える事でしょう、しかしその担保はお釈迦さんの教えを末法にしない事ではないでしょうか。

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天狗、九州に飛ぶ、長崎 自然(神)と人間

2011年04月28日 | 旅行記

4月25日は島原のホテルで朝を迎えました。旧友のUさんに長崎県の島原から雲仙を案内して頂く。

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今から20年前の平成3年5月20日から5年間に渡り溶岩の噴出で出来た普賢岳の平成新山です。

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凄まじい火砕流が普賢岳から時速100Kmで流れ出し家屋を飲み込み、その勢いは海まで達したそうです。この天災も20年近くなると忘れ去られようとしています。

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普賢岳の噴火は江戸時代にも有り、今回と同じ様に火砕流が流れ出し、多大な被害が有ったことが古文書に残されていました。この写真、幾重にも張り巡らされた砂防ダムですが、自然の力は人知を越えるもの、今回の東日本大震災も過去にも有った天災です。想定を越える自然の猛威に対して私達は如何に対応すべきか考えさせられます。

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Uさんの案内で今流行のパワースポットに。雲仙市瑞穂町の岩戸神社です、観光化されていない参道を歩くこと約350m、何百年、何千年と経った杉の巨木を見ながら本殿に行く。岩戸神社の本殿は洞窟の中で窟の高さは35m、幅は15m、奥行き10mも有ります。庇の様な跳ね出した岩の上からは水が落ちていました。確かにエネルギーを感じて背中がゾクゾクとします。

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次は有明海の奥に有る諫早市にやって来ました。今、水門を開けるか、開けないかで揉めている諫早干拓の堤防、こちらが有明海側です。

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こちらが陸側の調整池です、色の違いが判るでしょうか。

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今は水門を開けず調整池の水をポンプで汲み出しているようです。その位置にサギの仲間でしょうか鳥が一列に並んでいます、海が黒く濁った様に見えますが黒いのは魚です。魚を求めて鳥が猟をしているのです。自然を上手く利用して人間は住みやすさを求めるのですがこの諫早干拓も自然破壊かで揉めています。我が故郷の長良川河口堰も揉めにもめて完成したのですが自然破壊か災害防止かが今も問われています。自然(神)は人知を越える想定外のエネルギーが有ることを忘れてはならない。

Ana

Uさんのお陰で一日中勉強させて頂いた、有難う。長崎大村空港から19時20発のANA374便で中部国際空港に帰る。忙しい二泊三日の旅でしたが孫さんにも会い、珍しい所に案内して頂き充実した日々でした。

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天狗、九州に飛ぶ 日田編その2

2011年04月28日 | 旅行記

4月24日、今日は日田の文化に触れる事にしました、市内から車で約40分程度で山の村に出ました。

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ここは小鹿田焼の里(おんたやきのさと) です、登り窯が見えます。江戸時代に朝鮮から伝わった技法を今も守り続ける焼き物は国の重要無形文化財に指定されています。

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小川の水を貯めて陶土を粉砕する唐臼の仕掛け、ギィ~ ゴットンの音が山間に響くアナログの音は日本の音風景100選にも選ばれています。

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唐臼の内部では陶土が粉砕されていました。

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小鹿田焼の大きな壺です。

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この壺の模様を見て下さい、気の遠くなる様な細かい模様が小鹿田焼の特徴の様です。

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もう少し日田の文化に触れたかったのですが次の予定地の長崎県島原に移動開始時刻が迫って来ましたので日田駅より在来線で久留米まで出る。

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久留米駅から九州新幹線に乗って熊本まで、先日全線開通の真新しい新幹線乗るのも今回の大きな目的です。

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久留米から熊本まで約30分です、電車の車内は東海道新幹線と違って自由席でも片側二人掛けの椅子でゆったりです。背もたれも木で出来ていますしシートは素敵な模様の布製です。

熊本について今度は熊本港のフェリー乗り場まで行くのですがバスが出たばかりで次のパスではフェリーの時間に間に合わないので3200円も払ってタクシーで港まで。

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高速フェリーで島原までと思ってチケット売り場に行くと私が乗る予定のフェリーは欠航との事、電話で確認、日曜日は運航しますとの返事は何んだったのだろう。

幸いにもう一社のフェリーは40分後の19:10に出るとの事で予定変更、このフェリーは1時間掛けて島原に到着とのこと、タクシー代がもったいなかった、予定通りに行かない事も旅の心細さと楽しみです。しかし有明海は大変穏やかで揺れる事も無く、無事に島原につけて良かった。

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天狗、九州に飛ぶ  日田編

2011年04月26日 | 旅行記

4月23日。久し振りの長距離旅行です。名古屋小牧空港より派手な機体のFDA(フジ ドリーム エアライン)で九州福岡空港に飛ぶ。目的は愛娘夫婦ががロンドンより帰国し、初孫の初節句のお祝に大分県日田市に出向くことになりました。

Fda

日田市は大分県西部の市で人口約71000人程度の市で江戸時代の徳川幕府の天領として九州隋一の発展を極めたそうです。その名残を見ることが出来ました。

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以前は寂れた街並みを村おこしの為に取り組み旧家や資料館、お店として蘇らせた。天領として豪商達が活躍をして町民文化が開花その様子が

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この雛人形や小道具です。商人達は京都や大阪から絢爛豪華な雛人形を買い求め今もこの豆田街には多くが展示されています。地方都市にしてはこの他に鵜飼や日田祇園祭、日田川開きの花火大会等の催し豊かな街です。

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日田の街には古い物ばかりではなくサッポロビール九州日田工場が有りました、良質の水が豊富とのことでビールだけでなく焼酎のイイチコの工場も有り楽しみが一杯と云う事で早速

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工場内のレストランで縁起の良いエビスビールと焼き肉を御馳走になる。

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夜になって孫さんの節句祝いが始まりました、楽しんでいるのは大人達かも知れません、孫の名前は「悠仁」です。初対面で泣いたりぐずったりするのではないかと心配しましたが愛想を振舞って歓迎してくれました。

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未だ誕生後7ケ月ですがハーフバースデーと云う事で兜のケーキでお祝、しかし本人は離乳食中でケーキは食べられず残念でした。

こんなに小さいのに皆さんにめげる事なく愛想を振舞って、すっかり親ばか、いや御爺い馬鹿ぶりを楽しませて貰った一日でした。

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平和を考える、修学旅行

2010年05月28日 | 旅行記

地元の中学校から招待を受けて三年生の修学旅行の発表会に招かれる。数年前は大変荒れた学校で修学旅行の受け入れ先が難色を示した中学校ですが今はすっかり様変わりてす。

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今の修学旅行は凄い、きちんと目的を持って行き、後日その体験を皆さんに発表する。父兄の方だけでなく地元(5校)の小学六年生を招いての発表会です。

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旅行先は今話題の沖縄。時代を的確に捕えてアメリカ海兵隊の普天間基地移設の話題からレポート、生徒達は鳩山政権で沖縄県民は政治不信に火が付いた様な感じていた。

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彼らは直接普天間基地に行って現況視察、100?の騒音を体験、基地の凄まじさを肌で感じたようです。鳩山総理より早く沖縄入りをして体験したようです、若い人は行動が早い。        

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沖縄文化も研究。昭和16~20年に掛けての戦争で20万余の犠牲者が出ました話を地元のガイドさんより聴かせて貰う。そして家族思い、先祖思いの沖縄県民、沖縄の方のお墓は家の様に大きい、先祖さんを偲んで子孫、親戚縁者が沢山集まって墓前で楽しく食事をしたり踊りをして先祖供養する事も勉強してきた様です。

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発表会はPcやプロジェクター、劇を交えて約一時間程度、三年生全員が参加しての大構成でした。こんなに若い人が純粋に真剣に戦争と平和を考えている姿を目の当たりに見て感動した。

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「基地の問題も平和の問題も目の当たりに見て何をやったら良いのか判らない」と云う率直な生徒の発表でした。校長先生の最後の挨拶は「皆さんが団結して戦争と平和についてこんなに真剣に考える事が平和に結びつく」とまとめられた。我々には大きな事は出来なくても目の前の小さな平和に取り組む事が大事と教えられた。

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