宗教行事として薪等を焚いて炎で供養や祭典が行われますが本当に御利益が有るのでしょうか。信心深い方は有難く思い、不信心の方は単なる迷信と思うでしょう。
16日の毎日新聞に写真愛好家の方の写真が載っていましたがその中の一枚に京都の大文字焼きの写真が有りました。
この写真は8月16日、如意ヶ岳の「大文字」を三重県名張市の中西氏が撮影されたものです。良く見て下さい、炎の一つ一つが仏さんのお姿です。写真の上をクリックして拡大して下さい。
拡大して見るとよく判るかな。新聞の解説では少し手振れしたようだと有りましたが、それにしても意図的に写そうとしても写せるものではありません。
この写真は三重県菰野町湯の山の大石公園でかがり火を焚く僧兵の前で出来た炎の観音さんです。
同じく馬頭観音さんと天狗さんです、天狗さんは判り難いのですが炎の左側に天狗の長い鼻が有り、下の方に二本の足が見えるでしょう。この二枚の写真はみろく苑の児玉氏が2008年7月に撮影したものです。日本の信仰の原点は森羅万象(世の中、総ての物)、総てに神仏の御魂が宿る、と云う考えです、だから総て神仏に与えられ、神仏に守られていると云う思想なのですが今はその様な考えは何処へ行ってしまったのしょうか。