10月10日、名古屋の熱田神宮では半世紀ぶりの本殿改修が終わり御神体の「草薙の剣」を本殿に戻す本殿遷座祭りが行われました。しかしこの「草薙の剣」には隠れたミステリーが有ります。
少し話が長くなりますが草薙の剣について簡単に説明しますと。素盞嗚尊が出雲の国、斐伊川の上流で八岐大蛇を退治した時、尻尾から出てきた剣を「天叢雲剣」(アメノムラクモノツルギ)と云われています。その後素盞嗚尊はこの剣を天照大神に献上しました。その後天照大神は孫のニニギ尊に命じて天孫降臨(神の力で世の中を治める)を行う時この剣をニニギ尊に与えた。
その後、景行天皇の子、大和武(ヤマトタケル)が今の関東方面を統制に出掛ける時伊勢神宮に立ち寄り倭姫(ヤマトヒメ)よりその剣を授かり討伐に出兵しました。そして駿河(今の静岡)で来た時、その地方の豪族に草原で火を放たれ猛火に囲まれた時この剣で草を薙ぎ倒し難を免れた。そしてその後、この剣を「草なぎの剣」と称された。
関東を統制した大和武は尾張の国(愛知県)の豪族の娘のミヤズ姫と結婚をし、しばらくしてから「草薙の剣」をそこに残し今度は伊吹山の豪族を征伐に出掛けたが病に倒れた。大和武は尾張に戻らず伊勢に帰る時今の鈴鹿市の能褒野(ノボノ)で病死した。
私の住んでいる所から数100mの所にこんもりとした鎮守の森が有ります。この神社を津神社と云いますが、私達は草薙神社と云いこの村に住む11軒の草薙の性の一族がこの神社を守る氏神様でご祭神は大和武尊です。ここの看板には 大和武が関東方面に討伐に出掛けた折、この地を立ち寄った。その時太刀を一本松に忘れて討伐に出掛けた。討伐を終え伊勢に帰る時この地に立ち寄ると太刀は松の木に残されていたので「もし、この一本松が人であったならば、太刀を守った褒美として衣服と太刀を与えたであろう」(日本書記)と有る。この太刀は草薙の剣ではなかったのか。私が幼い時、村の長老から「以前、熱田神宮から使いの人が来て太刀を貸してほしい」と云って太刀を持って行かれた。その後太刀は返して貰っていないとの事。村の長老はこの太刀が「草薙の剣」だと云うのですが。 事実は小説より奇なり
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