鍋の美味しい季節になりました。早速戴きますと言いたいのですが
「戴きます」の挨拶をして食事をするのですがこの「戴きます」の本来の意味は野菜や肉や魚の命を戴きます、と云う事です。食事は命の交換儀式と聞いてなるほど、と思い言葉の深さを感じる。本来は食事の前に和歌を歌うと聞いて又もやびっくりです。その歌は『ななつもの百(モモ)の木草も天照す日の大神のめぐみをえてこそ』・・・・・・すべての草木や野菜が育つのは太陽の神である天照大御神様の恵みを得ているから、と云う意味だそうです。お伊勢さんの内宮の天照大御神さんに感謝して頂く。
食事か終わると「ご馳走様でした」と云いますがこれも和歌で『朝よひに 物くうごとに豊受の神の恵みを思へ世の人』・・・・・食事をするたびに食べ物や生活の一切の産業をお守り下さる豊受大御神様に感謝しましょう、と云う意味だそうです。お伊勢さんの外宮の豊受大御神様に感謝しましょう。
或る本にキリスト教の聖書には『神は大自然の管理者として人間を選んだ』と書いてあるそうです。
日本の神道では『万物には神の御魂が宿り 人間は自然の恵みを受けて生かされている』と書いてあります。
どちらが正しいと云うのではなく『感謝』の気持ちが如何に自分を幸せにするかです。
『MOTTAINAI』ですっかり有名に成ったケニアの環境副大臣のワンタリ マータイさん。日本語のMOTTAINAIを国際語にしまったノーベル平和賞受賞者です。彼女は何処までmottainaiの日本語を知っていたのか、きっと私達より遥かにmottainaiを知っていた事でしょう。4のRの付いた単語の意味を一つで表す英語の言葉が無い様です。
尊いものや価値あるものが穢(ケガ)れ、粗末に扱われ、能力が発揮されず、本来あるべき状態から離れいてるさまを惜しみ嘆く気持ちがMOTTAINAIだそうです。
失われつつある日本の心(言葉)には何と奥深い意味が有るのでしょうか。この意味が分かれば改めて日本人に生まれて良かったと感ずるしだいです。
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