少し時間が出来たので木曽三川の桑名をブラリ、水郷桑名の玄関口である七里の渡し跡を散策しました。
江戸時代の浮世絵画家安藤広重が描いた東海道53次で有名な桑名の宿です。愛知県名古屋市の熱田(宮)から海上で7里(28㎞)が桑名です。
桑名のここ、川口町が七里の渡しの玄関です。当時は木曽三川の治水事業が出来ていなくて陸路で伊勢の国に入る事が出来ず海上を船で桑名に来たようです。
広重の絵にある建物は桑名城の一部でばん龍櫓(バンリュウヤグラ)ですが当然今は跡形も有りません。
桑名市には揖斐川、長良川、木曽川という大きな川が3本流れ込んでいます。写真は揖斐川です、トンボの眼の様な水門が環境破壊か治水事業かで揉めに揉めて作られた長良川河口堰です。
三重県は伊勢の国です、江戸時代のころ一生に一度、お伊勢さんにお参りするのが庶民の夢だったそうです。その伊勢神宮の一の鳥居が伊勢から遥かに離れた桑名市川口町に有る鳥居です、如何に伊勢神宮の神域が広いかが伺われます。そのお伊勢さんですが昨年伊勢神宮は20年に一度のご遷宮でした。ご遷宮の古い用材でこの鳥居も今年新しく立て替えられる事になりました。
桑名と云えば「その手は桑名の焼き蛤」で蛤が大変有名です。昔は木曽三川の河口で沢山採れた蛤も一時は壊滅的に取れなくなりましたが漁協の努力で最近は随分復活してきたそうです。この漁船はシジミ採りの漁船です、朝からシジミ採りに励んでいました。
江戸時代の浮世絵画家安藤広重が描いた東海道53次で有名な桑名の宿です。愛知県名古屋市の熱田(宮)から海上で7里(28㎞)が桑名です。
桑名のここ、川口町が七里の渡しの玄関です。当時は木曽三川の治水事業が出来ていなくて陸路で伊勢の国に入る事が出来ず海上を船で桑名に来たようです。
広重の絵にある建物は桑名城の一部でばん龍櫓(バンリュウヤグラ)ですが当然今は跡形も有りません。
桑名市には揖斐川、長良川、木曽川という大きな川が3本流れ込んでいます。写真は揖斐川です、トンボの眼の様な水門が環境破壊か治水事業かで揉めに揉めて作られた長良川河口堰です。
三重県は伊勢の国です、江戸時代のころ一生に一度、お伊勢さんにお参りするのが庶民の夢だったそうです。その伊勢神宮の一の鳥居が伊勢から遥かに離れた桑名市川口町に有る鳥居です、如何に伊勢神宮の神域が広いかが伺われます。そのお伊勢さんですが昨年伊勢神宮は20年に一度のご遷宮でした。ご遷宮の古い用材でこの鳥居も今年新しく立て替えられる事になりました。
桑名と云えば「その手は桑名の焼き蛤」で蛤が大変有名です。昔は木曽三川の河口で沢山採れた蛤も一時は壊滅的に取れなくなりましたが漁協の努力で最近は随分復活してきたそうです。この漁船はシジミ採りの漁船です、朝からシジミ採りに励んでいました。
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