『週刊朝日』
(平成9年10月17日号)
「ニューギニアで旧日本兵が行った残虐」
「母は、この飯ごうでゆでられて……」
「数えきれない日本兵と性交渉をさせられた」とうつむく女性2人
「母親が日本兵にレイプされ、食べられた現場を見た」と証言する男性。
男の膝元にはゆでたという飯ごうが写っている。
写真と文はジャーナリストの須藤真理子
適当な写真にそれらしい文章をつけている。
現地で戦争被害の究明と補償問題に取り組む
ガブリエル・ラク氏と彼の運動を支援する『日本カトリック正義と平和協議会』所属の清水靖子
と共に取材されている。
現地の住民が被害を語り始めたのは
ラク氏の「日本軍による戦争被害に補償を求める会」を平成6年に結成してからだ。
平成5年 河野談話
平成7年 村山談話
この談話に後押しされるように平成9年に週間朝日は掲載している。
この写真を見れば慰安婦が必要かどうかなど考えるまでもないのだが
日本のはるか南方5000キロ、ニューギニア東部を舞台にした3年におよぶ戦いで、
日本軍はおおよそ16万人の将兵を失った。
その多くは餓死、マラリアなどによる病死で、生存率はわずか6%程度といわれている。
一方の米豪連合軍の戦死者は1万4000人を数えた。
戦死者の数だけを見れば勝負は一方的に見える。
たしかに一方的な戦いには相違なかったが、最悪の条件下にあって日本軍は今日からは信じられないほどの粘り強さと勇敢さを発揮した。
日本兵一人に対して
連合軍3人でやっと勝てる位
日本兵は強かったそうである
当時の記録を読むにつけ、悲劇というにはあまりに多くの犠牲をはらうことになったこの戦いに、
今の平和のありがたさを思わずにいられない。
この戦いから教訓を得ることは大切と思うが、
だからといって苦難の中で戦った将兵を糾弾する理由があるとは思えない。
当然慰安婦など必要ないこともあきらかである。
ニューギニア島のほぼ中央部に、国境線が南北一直線に引かれている。
国境の西側がかつてのオランダ領ニューギニアであり、東側が英連邦の一員、オーストラリアの支配する東部ニューギニアであった。
西部ニューギニアは現在はインドネシア領、東部ニューギニアはラバウルのあるニューブリテン島などとともに
昭和50年、パプアニューギニアとして独立国家となった。
昭和16(1941)年12月、米英蘭に宜戦布告した日本は、
翌年1月にマニラを占領し、次いでラバウル、シンガポールを攻略、
まさに破竹の勢いであった。
開戦半年後の昭和17年6月、
ミッドウェー海戦での大敗北は戦局の一大転機となり、
南方方面の日本軍の計画がすべて後手に回ることになり、
苦況の時期を一気に早めることになった。
東部ニューギニア方面においても月日の経過とともに米豪連合軍の反撃は熾烈となり、制空権、制海権ともに相手に移っていった。
熾烈を極めたジャングルでの戦いに慰安婦など一人も存在
しなかったのである。
何故日本の報道機関が日本兵の虚構の残虐性を広めるのか
今になってその答えが露呈しようとしている。
中国である。
パプアニューギニアに無料でテレビを配りCCTVの電波を飛ばしている
軍事に資金提供までしている
中国の布石を朝日が置いたのだ。もう廃刊だけでは済まない。