東大ポポロ事件をご存知であろうか
ご存知であれば◆◆この部分を飛ばしてお読みください
◆ポポロ劇団は1952年(昭和28)2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で、
松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』(農民作家・藤田晋助の戯曲、1952年1月発表)の上演を行なった。
これは大学の許可を得たものであった。
上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、
3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせた。
その際に学生らが暴行を加えたとして、2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。
このうち一人はのちに秋田県横手市で市長を務めた千田謙蔵である。
裁判要旨
大学の学問の自由と自治は、直接には教授その他の研究者の研究、
その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味する。
大学における学生の集会も、大学の公認した学内団体であるとか、
大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによって、特別な自由と自治を享有するものではなく、
学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、
実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。
大学の許可を受け、大学構内で松川事件に関する演劇を開き、
一般の公衆が自由に入場券を買って入場ができるような状態にあった本件集会に、
警察官が立ち入ったとしても、大学の学問の自由と自治を享有しない集会であるから、何ら違法ではない。◆
◇松川事件
松川事件(まつかわじけん)とは、1949年(昭和24年)に福島県の日本国有鉄道(国鉄)東北本線で起きた列車往来妨害事件。
下山事件、三鷹事件と並び、第二次世界大戦後の「国鉄三大ミステリー事件」の一つといわれており、
容疑者が逮捕されたものの、その後の裁判で全員が無罪となり、未解決事件となった。
1950年(昭和25年)12月6日の福島地裁による一審判決では、
被告20人全員が有罪(うち死刑5人)、1953年(昭和28年)12月22日の仙台高裁による二審判決では17人が有罪(うち死刑4人)、
3人が無罪となったが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を展開。
また宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。
1959年(昭和34年)
8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。
検察側の隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者の発言に関するメモ。
被告達のアリバイを証明していた。使用者側の記録者の名から)の存在と、
検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班倉庫に1丁あった)ではボルトを緩められないことが判明した。
1961年(昭和36年)
8月8日、仙台高裁での差し戻し審で被告全員に無罪判決。
1963年(昭和38年)
9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員の無罪が確定した。
無罪判決確定後に真犯人追及の捜査が継続された形跡はなく、
1964年8月17日午前零時、汽車転覆等及び同致死罪の公訴時効を迎えた。
被告たちは一連の刑事裁判について国家賠償請求を行い、
1970年8月に裁判所は判決で国に賠償責任を認める判断を下した。
松川記念塔
時効を迎えた1964年8月16日午後2時から事後現場から約150mほど離れた線路脇で合同慰霊祭が開催された。
「真犯人」からの手紙
1958年11月、被告側弁護団の一員だった松本善明宛に、
「私達は現犯人」(原文ママ)と記した手紙が届いた。
「私達は福島列車転覆事件を実際にやった私達今(原文ママ)、被告として裁判に付されている方々本当に申し譯なく思います」などとあり、
事件に関わったのは7人で、名古屋(3人)、前橋(2人)、岡山(2人)にいる、とし、
更に、「事件には当時の共産係ニ名に関係して居ります」と記されていた。
また、手紙が愛知県名古屋市熱田区から出されたことが封筒の裏面に記載されていた。
弁護団はジャーナリストなどとこの手紙を調査し、名古屋市熱田区の旅館で書かれた可能性があることを突き止めた。◇
京大において同様の事件が発生した。
62年も前と酷似しているが、
現在の学生の祖父母の世代である。
大学の中だけあたかも時が止まっているかのようで、ノスタルジックな気持ちになる。
警察公権力が大学自治、言論の自由を侵害するという学生の主張は
閉鎖的な学内においてのみ生まれる集団心理であり
インテリ特有の幼児性の残存する全能感から発生する。
戦後意図的に道徳心を奪われたことに起因するが
卒業後集団性を維持するかいなかで慢性化する心の病にさえ思える。
戦後の大学自治が70年近く経過した社会情勢も違う今、何故発病するのだろうか。
祖父母の世代の第一陣はほとんどがマスコミ、教育、地方自治体へ流れた
ばらばらになればその凶暴性や暴力性は希薄していくが
集団性の受け皿が中核派や革マル派であり、より暴力的手段で計画性をもつが
その反政府や反社会性は水面下に隠れる分悪質で強力なものへ変質してゆく。
中核派の正式名は革命的共産主義者同盟全国委員会であるが
1955年(昭和30年)の日本共産党第6回全国協議会(六全協)や、
1956年(昭和31年)のスターリン批判、ハンガリー動乱などの事件によって、日本共産党の権威は大きく揺らぎ、
共産主義者の新組織を結成する動きが始まった。
つまり、第一陣世代が創設者であり、
1957年(昭和32年1月)
黒田寛一や太田竜らを中心に結成された日本トロツキスト連盟はその一つである。
同組織は日本共産党への加入戦術で組織拡大に成功する。
これが中核派の前段階の誕生である。
話を戦前へもどし彼等にシンパシーを与えた【共産党】について触れよう
日本共産党はソ連コミンテルン日本支部として生まれた。
世界共産主義革命を成すための日本支部とでもいうべき組織だ。
現在の日本共産党は旧ソ連政府や支那政府との対立を偽装するが、
かつては完全にソ連コミンテルンの支配下にあった。
その活動を見ると、現在の中核派や革マル派以上のテロ組織と言っていいだろう。
日本共産党は査問と称するリンチ殺人を繰り返した。
こういった殺人は宮本顕治も行っている。
昭和9年に逮捕され無期懲役となるが敗戦のどさくさに
GHQによって野に放たれた
正に寝ている間に革命が終わっていたのである。
日本が敗戦し万歳三唱したのが彼等なのだ。
戦前宮本の残党が
近衛新内閣に入り込み、英米など帝国主義国同士の戦争へと巧みに誘導する。
当時の朝日新聞などは、国連脱退を称賛しきっている。こういった左翼の誘導もあり、やがて日本は戦争へと突入していったのだ。
彼等の警察、国に対する姿勢は共産党の政府へのそれにシンクロする。
ポポロ事件とは単に警察公権力との闘争なのではなく
目には見えない中枢で共産党との繋がりを暗示している。
この反権力、反社会性はその性格上、いつまで経っても
権力を持ち社会を構成することは未来永劫ないのである。
ここに私は幼児性を感じるのである。
日本の左側が中韓と同調して
反日左翼を構成している。
メディアが火炎瓶が燃え上がるのを放送しそれらしいコメントを入れるが
忘れてはならない、同じ穴の狢であることを。
ご存知であれば◆◆この部分を飛ばしてお読みください
◆ポポロ劇団は1952年(昭和28)2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で、
松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』(農民作家・藤田晋助の戯曲、1952年1月発表)の上演を行なった。
これは大学の許可を得たものであった。
上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、
3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせた。
その際に学生らが暴行を加えたとして、2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。
このうち一人はのちに秋田県横手市で市長を務めた千田謙蔵である。
裁判要旨
大学の学問の自由と自治は、直接には教授その他の研究者の研究、
その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味する。
大学における学生の集会も、大学の公認した学内団体であるとか、
大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによって、特別な自由と自治を享有するものではなく、
学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、
実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。
大学の許可を受け、大学構内で松川事件に関する演劇を開き、
一般の公衆が自由に入場券を買って入場ができるような状態にあった本件集会に、
警察官が立ち入ったとしても、大学の学問の自由と自治を享有しない集会であるから、何ら違法ではない。◆
◇松川事件
松川事件(まつかわじけん)とは、1949年(昭和24年)に福島県の日本国有鉄道(国鉄)東北本線で起きた列車往来妨害事件。
下山事件、三鷹事件と並び、第二次世界大戦後の「国鉄三大ミステリー事件」の一つといわれており、
容疑者が逮捕されたものの、その後の裁判で全員が無罪となり、未解決事件となった。
1950年(昭和25年)12月6日の福島地裁による一審判決では、
被告20人全員が有罪(うち死刑5人)、1953年(昭和28年)12月22日の仙台高裁による二審判決では17人が有罪(うち死刑4人)、
3人が無罪となったが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を展開。
また宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。
1959年(昭和34年)
8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。
検察側の隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者の発言に関するメモ。
被告達のアリバイを証明していた。使用者側の記録者の名から)の存在と、
検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班倉庫に1丁あった)ではボルトを緩められないことが判明した。
1961年(昭和36年)
8月8日、仙台高裁での差し戻し審で被告全員に無罪判決。
1963年(昭和38年)
9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員の無罪が確定した。
無罪判決確定後に真犯人追及の捜査が継続された形跡はなく、
1964年8月17日午前零時、汽車転覆等及び同致死罪の公訴時効を迎えた。
被告たちは一連の刑事裁判について国家賠償請求を行い、
1970年8月に裁判所は判決で国に賠償責任を認める判断を下した。
松川記念塔
時効を迎えた1964年8月16日午後2時から事後現場から約150mほど離れた線路脇で合同慰霊祭が開催された。
「真犯人」からの手紙
1958年11月、被告側弁護団の一員だった松本善明宛に、
「私達は現犯人」(原文ママ)と記した手紙が届いた。
「私達は福島列車転覆事件を実際にやった私達今(原文ママ)、被告として裁判に付されている方々本当に申し譯なく思います」などとあり、
事件に関わったのは7人で、名古屋(3人)、前橋(2人)、岡山(2人)にいる、とし、
更に、「事件には当時の共産係ニ名に関係して居ります」と記されていた。
また、手紙が愛知県名古屋市熱田区から出されたことが封筒の裏面に記載されていた。
弁護団はジャーナリストなどとこの手紙を調査し、名古屋市熱田区の旅館で書かれた可能性があることを突き止めた。◇
京大において同様の事件が発生した。
62年も前と酷似しているが、
現在の学生の祖父母の世代である。
大学の中だけあたかも時が止まっているかのようで、ノスタルジックな気持ちになる。
警察公権力が大学自治、言論の自由を侵害するという学生の主張は
閉鎖的な学内においてのみ生まれる集団心理であり
インテリ特有の幼児性の残存する全能感から発生する。
戦後意図的に道徳心を奪われたことに起因するが
卒業後集団性を維持するかいなかで慢性化する心の病にさえ思える。
戦後の大学自治が70年近く経過した社会情勢も違う今、何故発病するのだろうか。
祖父母の世代の第一陣はほとんどがマスコミ、教育、地方自治体へ流れた
ばらばらになればその凶暴性や暴力性は希薄していくが
集団性の受け皿が中核派や革マル派であり、より暴力的手段で計画性をもつが
その反政府や反社会性は水面下に隠れる分悪質で強力なものへ変質してゆく。
中核派の正式名は革命的共産主義者同盟全国委員会であるが
1955年(昭和30年)の日本共産党第6回全国協議会(六全協)や、
1956年(昭和31年)のスターリン批判、ハンガリー動乱などの事件によって、日本共産党の権威は大きく揺らぎ、
共産主義者の新組織を結成する動きが始まった。
つまり、第一陣世代が創設者であり、
1957年(昭和32年1月)
黒田寛一や太田竜らを中心に結成された日本トロツキスト連盟はその一つである。
同組織は日本共産党への加入戦術で組織拡大に成功する。
これが中核派の前段階の誕生である。
話を戦前へもどし彼等にシンパシーを与えた【共産党】について触れよう
日本共産党はソ連コミンテルン日本支部として生まれた。
世界共産主義革命を成すための日本支部とでもいうべき組織だ。
現在の日本共産党は旧ソ連政府や支那政府との対立を偽装するが、
かつては完全にソ連コミンテルンの支配下にあった。
その活動を見ると、現在の中核派や革マル派以上のテロ組織と言っていいだろう。
日本共産党は査問と称するリンチ殺人を繰り返した。
こういった殺人は宮本顕治も行っている。
昭和9年に逮捕され無期懲役となるが敗戦のどさくさに
GHQによって野に放たれた
正に寝ている間に革命が終わっていたのである。
日本が敗戦し万歳三唱したのが彼等なのだ。
戦前宮本の残党が
近衛新内閣に入り込み、英米など帝国主義国同士の戦争へと巧みに誘導する。
当時の朝日新聞などは、国連脱退を称賛しきっている。こういった左翼の誘導もあり、やがて日本は戦争へと突入していったのだ。
彼等の警察、国に対する姿勢は共産党の政府へのそれにシンクロする。
ポポロ事件とは単に警察公権力との闘争なのではなく
目には見えない中枢で共産党との繋がりを暗示している。
この反権力、反社会性はその性格上、いつまで経っても
権力を持ち社会を構成することは未来永劫ないのである。
ここに私は幼児性を感じるのである。
日本の左側が中韓と同調して
反日左翼を構成している。
メディアが火炎瓶が燃え上がるのを放送しそれらしいコメントを入れるが
忘れてはならない、同じ穴の狢であることを。