江華島事件(こうかとうじけん、カンファドじけん)は、
1875年(明治8年)9月20日
朝鮮の首府漢城の北西岸、漢江の河口に位置する
江華島(現仁川広域市江華郡)
付近において
日本と朝鮮の間で起こった武力衝突事件である。
日本の軍艦雲揚号が、江華島、永宗島砲台と交戦した。
日本側の軍艦の名を取って雲揚号事件(うんようごうじけん)とも呼ばれる。
明治新政府と李氏朝鮮の最初の衝突で
これを期に日本は日清戦争へと突入していくこととなる。
それが、韓国側からは「日本による朝鮮侵略」と言われ
朝鮮側の攻撃を誘発するべく企図された計画的挑発行為
によって引き起こされたとする論が韓国では主流な学説となっている。
韓国側としては至極当然である。
ところが日本国内においても、日本側の砲撃を誘発する意図、
組織的情報隠蔽などを疑う学者は少なくないようである。
驚きだ。
韓国側の判断に追従しているのだ。
<朝鮮側>の主張
朝鮮は日清両国以外の船(西洋船)が来航する場合は武力を持って打ち払うことも辞さないという政策を採っていた。(鎖国政策)
事件と同時期に、朝鮮国内で英国艦隊が来航するという噂があって沿岸陣地は神経を尖らせていた。
首都に近い江華府は尚更厳重な警戒を敷いていた。
事件は日本船を西洋船だと誤認したことによって発生した不幸な事故であることは明白である。
日本船と認識していたのなら攻撃などするはずが無い。
事件当時、日本船は黄色い旗を揚げていたと報告を受けている。
(国際信号旗のよると、本船乗組員の健康に問題なし。検疫に関する通行許可求む[要検証 ])
しかし、日本国旗の接受は行われたものの地方への通達はまだだったので誤認した兵卒たちに罪は無い。
<日本側>の主張
日本政府は事前に日本国旗を渡して誤認を避けるように忠告していたのに事件が発生したのは朝鮮側の怠慢ではないか。
黄色い旗を掲げていたという報告は受け入れがたい。
雲揚が日章旗(事件発生時は一旒、被攻撃後に三旒まで増やす)を揚げていたことは間違い無い。
そもそも条約交渉が滞っていたこと(書契問題)は、事件と同程度に重大な問題である。
事件については朝鮮側の明確な謝罪を求める。
書契問題に関して朝鮮側は、1866年末に起きた八戸事件
(香港在住の日本人八戸順叔が清の新聞に征韓論の記事を載せたことから外交紛争となった事件)
を持ち出して正当性を訴えたが、日本側は「八戸の虚説はすでに江戸幕府および対馬藩が否定済みである」と相手にしなかった。
最終的に日本側の言い分が受け入れられ、日朝修好条規(江華条約)の締結と同時に江華島事件と条約交渉の停滞(書契問題)に対する謝罪文を手交する形で事件は決着した。
以上結論は朝鮮の勘違いで発生した不幸な事件だった。
日本側の江華島事件に関する歴史家の文献は殆どが
2000年以降に書かれている。
ということは?
捏造の可能性がある、ということだ。日本側の研究者は少なく、ほぼ韓国研究者の分析に同意するような形で判断をして異論は唱えない。
日本側にとっては研究対象にならない些細な事件程
巧みに日本を貶める為、自分達に都合よく歴史を修正しているのだ。
問題は日本人がそれに加担しているということ、慰安婦問題をとっても、吉田清治は韓国に利得がある様に虚偽の証言をし、
擦り合わせて強制性の有無などと、限りなく韓国寄りの判断を日本としておきながら米国本土には慰安婦像をたて、吉田証言を最大活用しているのだ。
近現代史はほぼ修正されていると断言してもいいくらいにGHQにより焚書されている。
平和の為の近隣諸国条項で自国を貶める歴史観を放置した代償は奇しくも戦死した孫の世代が責任を取ることになる時限爆弾にも思える。
そろそろ自虐史観を捨て、自国に有利な歴史を確立しなけれぱならない。時限爆弾は秒読み段階に入った。