天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

葉隠

2014-12-17 18:01:14 | 歴史

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

葉隠の記述の中で特に有名な一節ですが、

全体を理解せず、この部分だけ取り出して

武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多く

実際、太平洋戦争中の
特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、

現在もこのような解釈をマイナスイメージでとらえる方がほとんどだと思います。

一部忠誠心などを拡大解釈してビジネス書などに使用されているようです。

『死ぬ事』が正解、その正解を『武士道』の中に発見した。

まだまだ理解できないでしょう。

でも『死ね』と言ってるのでないことはわかります。

『死ぬ事』はいったい誰の為なのか?

個人主義、自由主義、グローバリズムなどと

公に対しての感心や責任を捨てた現代人に話しても

感心すら感じられない、理解することも儘ならないでしょう。

勿論、封建社会の当時は君主のために『死ぬ事』でありましたが

戦争時の玉砕や自決ではなく、「死ぬ気」で
「命懸け」でと考えるほうが自然です。

現代にあてはめて考えてみましょう。

何かの為に『死ぬ気』『命懸け』で・・・・・

最愛の人と巡り会えた人、
子や孫ができた人、
は誰しもが感じる事

『死ぬ気』『命懸け』で守りたい、

それは何も身内だけに留まらず警官、消防、救急、自衛隊
など公の職業につく方々が

胸に刻む崇高な使命感にもあてはまると思います。

個人主義が罷り通る現代に、また若者には理解に苦しむかもしれませんが

他人の為に死ぬ(命懸け)とは己の為だけに生きることのつまらなさに比べ

なんと達成感や満足感のあることだろうか。

目的をもって他人の為に命懸けで生きることの幸福感を言っているのです。

素晴らしいですね武士道。


小林よしのり論

2014-12-17 06:34:11 | 時事


まず小林氏が週刊ポストに寄稿した靖国神社参拝と安倍総理批判を絡めたコピペをお読み下さい。

NEWSポストセブン
小林よしのり氏 安倍参拝で天皇の靖国ご親拝遠のくと問題視
 
昨年12月26日の安倍晋三首相の靖国神社参拝は、海外の反発を招く一方、国内の保守支持層から礼賛の嵐となった。

だが、ベストセラー『靖國論』の著者で、新刊『大東亜論』を上梓したばかりの漫画家の小林よしのり氏は、その背景に靖国神社がいつの間にか、反中・嫌韓の排外ナショナリズムの象徴と化してしまったと指摘する。

 * * *
 いつの間に、靖国はこんな偏狭なナショナリズムに利用されるようになってしまったのだろうか。

 そもそもわしは、小泉(純一郎)の首相時代の靖国参拝の時点からジレンマを感じていた。規制改革を中心とする小泉路線には反対しながら、靖国参拝については一定の評価をせざるを得ないような状況が続いていたからだ。

 考えてみればあの頃から、新自由主義・グローバリズムで日本の国柄を破壊する政治家が、靖国参拝によってナショナリズムを喚起し、それを帳消しにする形が生まれた。安倍のやり方はそれを引き継いでいる。

 規制改革にしてもTPP(環太平洋経済連携協定)にしても、そして原発推進(小泉は転向したが)にしても、安倍の現在の政策は、本来、日本の共同体が培ってきた愛郷心(パトリオティズム)を破壊するものばかりだ。

 安倍はそうした新自由主義的政策を推進しながら、なお「保守・愛国者」と見られるために、靖国神社を利用した。靖国参拝はもはや新自由主義の隠れ蓑になってしまったのだ。

 わしはかつてネット右翼が誕生した頃、共同体から分断された砂粒の個人が、国家に直結して排外主義的な方向に向かう様を「パトリ(愛郷心)なきナショナリズム」と呼んだが、安倍はこの国をますます、その「パトリなきナショナリズム」へと導いている。

 しかも厄介なことに、それは「天皇なきナショナリズム」とも結びつく。

 安倍が国際社会の反発の中で参拝すればするほど、本来靖国神社にとって悲願のはずの天皇陛下のご親拝は遠のくことになる。安倍のせいで、天皇陛下がますます靖国に行きづらくなっていることを、なぜ誰も問題にしないのか。

 そもそも安倍は「女性宮家」の創設を望む陛下の意向を無視している。皇位継承は何が何でも男系でなければならないという男系固執派に配慮しているからだ。

『AERA』2月3日号に、皇位継承についてこんな記事が載っていた。

〈「次の世代のことは次の世代が解決されてはいかがでしょう」。あるとき、側近がこう進言したことがあった。だが、天皇陛下は「そうはいかない」と答えたという〉

 陛下のそこまでの覚悟を知りながら、安倍は「皇統の継承は男系でつないでいくと皇室典範に書いてあり、女性宮家はそういう役割を担うことができない」と言い、まともに取り合おうとしない。

 つまり安倍と安倍シンパは、「天皇なきナショナリズム」の者たちである。

 だが、靖国神社に祀られる英霊たちは、天皇のため、あるいは郷土(クニ)のために戦って死んでいったのだ。天皇もパトリもないナショナリズムなど、ただの自己慰撫ナルシシズムでしかないではないか。

 わしはもはや、安倍のように靖国参拝さえすれば保守であり愛国者だという考えに与するつもりはない。

※週刊ポスト2014年2月14日号




私は小林氏に対してなんら敵対心や否定的主張を普段より抱いている訳ではなく、

むしろ逆の親しみを感じているがゆえの反論を書かせて頂きたい旨をはじめにお断り致します。

小林氏(以下、わし)が冒頭に述べている新自由主義とグローバリズムを推し進めた政治家が国柄を破壊した

とあるが、そもそも国柄を破壊したのは敗戦と米国であり

靖国参拝を政治利用している、の主観は反政府的左翼メディアの弁護的な代弁にすぎない。

そもそも、新自由主義とグローバリズムの中心となり
推し進めその恩恵にズッポリ漬かったマスコミ左翼が

首相の参拝を上から言える立場なのかがはなはだ疑問なのです。

また、パトリオティズムなきナショナリストとネット右翼
を敵に回す発言も

元をたどればわしの戦争論を読んで覚醒した砂粒の個人は少数ではないだろうし、

安倍総理の影響をうけて排外主義に傾く訳でもない。

パトリオティズムなどは日本人であれば誰しもが内包しているものであり、

ナショナリズムによって排外主義が発生する訳でもない

2000年前後から日本の中枢に入り込み、日本史を捏造し、たかってきた勢力が犯罪を犯し、日本を貶める、

それら本来マスコミが蓋をし続けてきた事象がネットによって露呈し、

排外主義となるのであって、わしの語る耳障りのよい
安倍批判は全くの責任転嫁に他ならない。

あげくのはて皇室典範まで否定し、女性宮家を推す許しがたい暴挙を主張し、

靖国の英霊を使って首相、政府批判を展開している。

歪んだ左翼の言論空間でその恩恵を受ける物書きとして

パチンコマネーを手にしたヨゴレ保守?なのです。