天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

横田喜三郎

2015-08-17 14:02:33 | 歴史
明治29年に生まれ明治、大正、昭和と激動の時代を駆け抜けた横田は世代的には戦争を避けながら生まれて来た世代だろう。

あと10年早く生まれ志願していれば中将以上の軍の指導者になれた、そんな世代だ。

日露戦争時は小学生、家は呉服商と農家の兼業で裕福な家庭で貧しい経験はおそらくしていないだろう。

1930年3月 東京帝国大学教授に就任。

ロンドン海軍軍縮会議の日本政府代表団随員として若槻禮次郎首席全権を補佐している。

かつてはマルクス主義の読書会(ベルリン社会科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者として知られ、軍部に睨まれたこともあった。

1949年(昭和24年)の著書『天皇制』などにおいて、積極的な天皇制否定論を提唱した。

戦前「天皇制」という言葉はごく少数がひそかに使用する以外まったく日本国民に知られていなかった。

「天皇制」は大正12年3月15日ソ連共産党が指導するコミンテルンから日本共産党にもたらしたもので、天皇制打倒、天皇制廃止を専一にめざす、天皇と皇室を憎みおとしめ呪う造語である。

コミンテルンの日本共産党への指令(27テーゼ)以来、「日本革命」の道は、ロシアと同様「帝制の打倒」であり、日本がアメリカに組み込まれても天皇制廃止だけは必ず実現させねば、というのがスターリンの執念であった。

そこから戦後日本では左翼・左派勢力は一貫して、「反天皇」「反皇室」を叫ぶことになる。

このような人物が東京裁判の裁判自体については肯定的評価を与え、翻訳責任者を務めた。

小室直樹と渡部昇一は対談で「横田喜三郎、これほど犯罪的という形容が相応しい学者は他にいない」として横田を批判している(小室直樹・渡部昇一『自ら国を潰すのか』徳間書店)。

とりわけ、「日本の国際法研究から戦争研究を追放したこと」「東京裁判を法理論的に承認したこと」について小室は横田を厳しく論難している。

戦後日本を異質な国に変質させた張本人である。