よく勉強されている反靖国?の方のリプで、神道と靖国にまた日本史に於いてそこそこ知識が無いとこの小馬鹿にしたような絡みは出来ません
通常反靖国の教授陣を批判しておりますので
高尚な絡みリプもございます。以下・・
『国家神道の問題に加えA級戦犯合祀で、靖國は更にややこしくなった。東京裁判で刑を免れた昭和天皇がA級戦犯合祀した靖國を参拝したら、政治問題になる。今上天皇だって、その姿勢を踏襲せざるを得ない。……筑波宮司が御存命だったらなあ。』
『もとが招魂社ですから、どうしても政治問題になりますね。政治施設。梅原猛先生が仰有ってたように、倒した相手を「祟らないで。お願い」と神様に祀り上げるのが伝統的神道なのに、靖國は逆なんです。
崇徳院の怨霊を鎮めるための白峰神社が、今は、こう http://t.co/9lQacq24eU 。こちらのほうが、お好きなんじゃないですか。ぼくも、こういうのが好きです。』
神道の考えの中に祟り神の信仰があります。手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々です。
八百万の神の考えはたとえ敵であっても忌み嫌うのでなく手厚く祀る神となるのです。
昭和天皇も白峰神宮には800年祭に勅使を送っておられます。
梅原猛は靖国で『人情として戦争で死んだ
人の冥福を祈るのは分かるが、そのなかにはたくさんの隣人を殺した人間も含まれる』
などと妄言に近い問題発言もしておりますが、靖国は冥福を祈る場所ではありません。
初歩的な段階で神道を見誤り妄言を吐いて貶めることは逃げ道を作って貶めている薄汚ささえ感じます。
東京裁判で刑を逃れたとの言い回しも実に不敬極まりない発言です。
御親拝されるから政治問題になるのではありません。
先帝陛下の最後の御親拝は昭和50年11月21日
です。その年の8月15日三木首相が戦後初めてこの日に国家護持で揺れる遺族感情と自己保身の為、玉ぐし料はポケットマネーで、公用車をつかわず、肩書きを付けず、SPを同行せずの私的参拝を行い政治問題化したのです。
政治不介入の皇室は国民の考えが二分するような政治問題が発生している場所へは行かれないことからこの年を最後に中断されているのであって、決して政治問題になるからではないのです。
最後に筑波宮司が出てきますが、富田メモにあるように戦犯合祀を最後まで棚上げしていた宮司です。
筑波宮司の死後、松平宮司が昭和53年に合祀するのですが名前を白菊会とし宮内庁に上奏します。
ここからは私個人の想像です。
元A級戦犯の合祀は棚上げされていました、靖国を国家護持にする法案が提出されるなど合祀は二の次の状態であったのです。
おそらく合祀も陛下の独断で行うこともできなかったはずです。
白菊会として上奏された祭神名表を徳川侍従長が見落とし合意してしまったのでしょう。
このことを戦犯合祀に陛下が不快感との富田メモをリークしてうやむやにしたのではないでしょうか。
ですから戦犯が合祀された靖国に天皇陛下が御親拝すると政治問題になるのではないのです。
公的参拝が政治問題化して、御親拝出来なくなったところに内々に合祀したところ朝日新聞がスクープで合祀に問題があるような記事にしたため公的参拝よりも大きい政治問題となるよう意図的に仕組み、富田メモで合祀に問題があるから御親拝されないとの複雑で巧妙なストーリーを捏造したのです。合祀された戦犯の中に軍人でない者、病死者が含まれるなどの尾ひれがつきますが、大東亜戦争以前の宮司の序文を最後に載せますのでお読み下さい。
昭和10年『靖国神社忠魂史』(陸海軍官房監修)全五巻が発刊されました。 これは満州事変以前の戦争で死亡した日本軍兵士の名前が書き記されたものですが、
明治42年から昭和14年の30年間
靖国第三代宮司をつとめた加茂百樹氏が
刊行に際して序文を記しています。
靖国神社の祭神は男女の区別もなく、又階級的に何等の差別なく祭祀されてゐるのでありますが、世には往々靖国神社を以て軍人の殉難者を祀る神社であるかに考えてゐる者があります。 之は誤解も甚しいもので、かくては一視同仁の聖徳を涜し奉るものと云ふべきであります。 茲に祭神生前の官職身分等の大略を挙ぐるも、維新前には公卿・藩士・神職・僧侶・百姓・町人あり又明治以後には、陸海軍を初とし地方官・外交官・警察官・鉄道従業員・従僕・職工等があります。 〔中略〕 かくの如く靖国神社の祭神は、階級を超越し、国民を綜合した忠勇義烈の御霊でありまして、換言すれば、実に忠君愛国の全国民精神を表現し給ふところの神であると申すべきであります。〔後文略〕
通常反靖国の教授陣を批判しておりますので
高尚な絡みリプもございます。以下・・
『国家神道の問題に加えA級戦犯合祀で、靖國は更にややこしくなった。東京裁判で刑を免れた昭和天皇がA級戦犯合祀した靖國を参拝したら、政治問題になる。今上天皇だって、その姿勢を踏襲せざるを得ない。……筑波宮司が御存命だったらなあ。』
『もとが招魂社ですから、どうしても政治問題になりますね。政治施設。梅原猛先生が仰有ってたように、倒した相手を「祟らないで。お願い」と神様に祀り上げるのが伝統的神道なのに、靖國は逆なんです。
崇徳院の怨霊を鎮めるための白峰神社が、今は、こう http://t.co/9lQacq24eU 。こちらのほうが、お好きなんじゃないですか。ぼくも、こういうのが好きです。』
神道の考えの中に祟り神の信仰があります。手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々です。
八百万の神の考えはたとえ敵であっても忌み嫌うのでなく手厚く祀る神となるのです。
昭和天皇も白峰神宮には800年祭に勅使を送っておられます。
梅原猛は靖国で『人情として戦争で死んだ
人の冥福を祈るのは分かるが、そのなかにはたくさんの隣人を殺した人間も含まれる』
などと妄言に近い問題発言もしておりますが、靖国は冥福を祈る場所ではありません。
初歩的な段階で神道を見誤り妄言を吐いて貶めることは逃げ道を作って貶めている薄汚ささえ感じます。
東京裁判で刑を逃れたとの言い回しも実に不敬極まりない発言です。
御親拝されるから政治問題になるのではありません。
先帝陛下の最後の御親拝は昭和50年11月21日
です。その年の8月15日三木首相が戦後初めてこの日に国家護持で揺れる遺族感情と自己保身の為、玉ぐし料はポケットマネーで、公用車をつかわず、肩書きを付けず、SPを同行せずの私的参拝を行い政治問題化したのです。
政治不介入の皇室は国民の考えが二分するような政治問題が発生している場所へは行かれないことからこの年を最後に中断されているのであって、決して政治問題になるからではないのです。
最後に筑波宮司が出てきますが、富田メモにあるように戦犯合祀を最後まで棚上げしていた宮司です。
筑波宮司の死後、松平宮司が昭和53年に合祀するのですが名前を白菊会とし宮内庁に上奏します。
ここからは私個人の想像です。
元A級戦犯の合祀は棚上げされていました、靖国を国家護持にする法案が提出されるなど合祀は二の次の状態であったのです。
おそらく合祀も陛下の独断で行うこともできなかったはずです。
白菊会として上奏された祭神名表を徳川侍従長が見落とし合意してしまったのでしょう。
このことを戦犯合祀に陛下が不快感との富田メモをリークしてうやむやにしたのではないでしょうか。
ですから戦犯が合祀された靖国に天皇陛下が御親拝すると政治問題になるのではないのです。
公的参拝が政治問題化して、御親拝出来なくなったところに内々に合祀したところ朝日新聞がスクープで合祀に問題があるような記事にしたため公的参拝よりも大きい政治問題となるよう意図的に仕組み、富田メモで合祀に問題があるから御親拝されないとの複雑で巧妙なストーリーを捏造したのです。合祀された戦犯の中に軍人でない者、病死者が含まれるなどの尾ひれがつきますが、大東亜戦争以前の宮司の序文を最後に載せますのでお読み下さい。
昭和10年『靖国神社忠魂史』(陸海軍官房監修)全五巻が発刊されました。 これは満州事変以前の戦争で死亡した日本軍兵士の名前が書き記されたものですが、
明治42年から昭和14年の30年間
靖国第三代宮司をつとめた加茂百樹氏が
刊行に際して序文を記しています。
靖国神社の祭神は男女の区別もなく、又階級的に何等の差別なく祭祀されてゐるのでありますが、世には往々靖国神社を以て軍人の殉難者を祀る神社であるかに考えてゐる者があります。 之は誤解も甚しいもので、かくては一視同仁の聖徳を涜し奉るものと云ふべきであります。 茲に祭神生前の官職身分等の大略を挙ぐるも、維新前には公卿・藩士・神職・僧侶・百姓・町人あり又明治以後には、陸海軍を初とし地方官・外交官・警察官・鉄道従業員・従僕・職工等があります。 〔中略〕 かくの如く靖国神社の祭神は、階級を超越し、国民を綜合した忠勇義烈の御霊でありまして、換言すれば、実に忠君愛国の全国民精神を表現し給ふところの神であると申すべきであります。〔後文略〕